わたしの目は今あなたの救いを見た ルカ2章22-37節
わたしの目が今あなたの救を見た・・・(30)
シメオンは正しい信仰深い人でした。イスラエルの慰めの時、救いの日を待ち望んでいました。このシメオンが救い主のイエスさまにお会いして、その幼な子を抱き、神をほめたたえたのでした。
1 聖霊に導かれた人シメオン
ルカはこのシメオンについて、聖霊が彼に宿っていたと記しています。そして聖霊によって、主の遣わしてくださる救い主にお会いするであろうことを示され、また、救い主にお会いするまでは死ぬことはないと示されていたのでした。
そのシメオンが聖霊によって、ちょうどその時宮に入ってきたマリヤとヨセフ、そして生まれて一月のイエスさまにお会いしたのでした。
私たちが主イエスにお会いし、この方が救い主だと知ることができるのは、自分の知恵や賢さではなく、私たちのうちに生きて働いてくださる聖霊によります。そして、この聖霊は、今も、私たちに罪を示し、正しい道に導いてくださいます。聖霊は救い主を待ち望ませ、救い主イエスを悟らせてくださいます。
2 神の救いを見たシメオン
シメオンは幼な子の主イエスを抱きながら、私はこれで安心して死ぬことができるわたしの目が今あなたの救いを見たのだから、と言います。ここで、救いとはまさに主イエスご自身のことでした。私たちは救いを必要としています。そして、まさに、この救いとは主イエスなのです。私たちの救いは、この幼な子のうちにあるのです。この幼な子は、神がどれほど私たちを愛し、どれほど私たちに対して本気であるかを示しています。私たちの救いはどれだけ私が幸せになって、私が得をして、私が恵まれてということではありません。私たちの救いはまさに主イエスとお会いすることであり、私たちの救いとは主イエスご自身なのです。
そして、シメオンはこの子がやがて大きな苦難を通ることをも予告します。そして、そのことを通して異邦人も含めて全ての人が光を得、救いをいただくことができるのです。
シメオンはここで同時に、この主イエスを見ていると、その人の本性が出てくると言います。言い換えると、この主イエスの前に出て、私たちは決断を迫られるのです。悔い改めてこのお方にすがって生きるか、自分の罪深さを見ないかのようなふりをして、そしてイエスさまに石を投げ、拒み、殺してしまうかです。
あなたはこのイエスさまを見ましたか。このお方を仰いで、信頼してください。このイエスさまにこそがあなたの救いだからです。
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