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妥協か 一新か ローマ12章1〜3節
あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。(1)
パウロはこの世と妥協してはならないと語ります。この「妥協する」とは同じ服装をする、同じかっこうをする、という意味のある言葉です。そしてここで「この世」と訳されている言葉は直訳すると「この時代」ということになります。つまり、いつも移り変わっていく「この時代」に調子を合わせるということなのです。
聖書は言います。この世と妥協するな。調子を合わせるな、この世にならうな。ある意味、それは私たちがどこまでも「よそ者」として生きることを意味するかもしれません。この時代にあってもこの時代に染まらず、流されずに生きるのです。たとい少数者であっても、地の塩として生きるのです。
もう妥協しない・・・この世に自分をささげて生きるのではなく、神に自分をささげて生きる。パウロは心を新たにすることによって造り変えられなさい。新改訳では心の一新によって自分を変えなさい、と言います。私たちは時に、心の改装工事、心の一新が必要なことがあるのです。神様に点検していただいて、直すところ直していただいて、整えていただく・・・そうでないと嵐の中で立っていけない。妥協しないで立ち続けることができない、神に喜ばれる、全き、聖なる道を歩むことができない、私たちは心を新たにする・・・それはある意味、視点を変えるということです。自分の立場からものごとを見ていたことを、神の視点から見直していく。何がわたしの願いで、何がわたしの喜びであるかということではなく、何が神の願いで、何が神の喜びかということに私たちの行動の基準を変えていく。造り変え、という言葉は「姿かわり」という言葉です。芋虫は葉っぱを食べて、葉っぱにしがみついて生きている。でも彼らの姿が変わって蝶になったら、食べる物が変わる。花の蜜を食べるようになる。住む世界が変わる。空を飛ぶようになる。私たちの姿が変えられていく。私たちの生まれつきの姿のままでは、きっと何かあったら、ペテロや他の弟子たちと同じように、一番大事なときに、妥協していく。でも妥協ではなく、この世や時代とうまいこと調子を合わせてではなくて、この世に住みながらも、この世のものではない、という生き方ができるように、主はしてくださる。私たちの心を一新して、造り変えてくださる。神の視点からものごとを見て、生きるものへとしてくださるのです。
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聖書の一節から
ショートメッセージ
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