なんてしあわせな ルカ1章39〜56節
主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう。(45)
エリサベツは、あなたはなんとさいわいなのでしょう、とマリヤに声をかけます。確かにマリヤは特別な恵みをいただいていました。けれどもマリヤが祝福され、マリヤがしあわせだったように、今日、神はあなたにも「なんてさいわいなのでしょう」と語りかけ、そのような歩みを与えて下さいます。
1 主がわたしを心にかけてくださったから
神様はこのいやしい女をさえ、心にかけてくださいました、とマリヤは言います。マリヤは自分が本当に小さい者であることを知っていました。決して有名人でも、有力者でも、お金持ちでもない、でもそんな小さなわたしを心にかけてくださるなんてと歌うのです。神はあなたのこともその御心にとめていてくだいます。
2 わたしに大きな事をしてくださったから
マリヤは力ある方が私に大きな事をしてくださったと、歌います。神様は小さなことにも心を配ってくださるお方です。けれども、マリヤは、この力のある方が、わたしを御心にかけ、それだけでなく、私に大きな事をしてくださったというのです。大きな事、それは処女だった自分がみごもったということもあります。そして、神は人間的な権力や能力をひっくりかえすようなことをなさるというのです。そして、いやしい者、飢えている者を用いて大きな事をなさる。
それどころではない、こんな小さく、滅んでいくしかない罪人を、神は罪赦し、救ってくださった、神の子として、永遠の命を与えてくださった、こんな小さく卑しい者を神様のご目的のために用いてくださる。なんてさいわいなのでしょう。
3 神の御言を信じたから
主がお語りになったことが必ず成就すると信じた女・・・とエリサベツはマリヤのことを呼びます。男でも女でもそうです。神が語られる言葉を聞いて、その御言を信じ、その御言に自分の生涯をかけていく・・・こんなしあわせなことはありません。聖書の御言は昔話ではありません。聖書の世界で起こったことがあなたにも起こる。聖書の神は、今もあなたの生涯にも働いてくださるのです。
今日、主はあなたにも言われます。あなたはしあわせ。そして、あなたも言うのです。私はしあわせだ。神様が私のことをその御心にとめてくださったのだから、神様が私に大きな事をしてくださったのだから、私は必ず成就する御言に信頼して生きることができるのだから。
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