天からのパンで養われて 出エジプト16章1〜12節
わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して植えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。 (ヨハネ6:35)
出エジプト十六章では、ちょうど、エジプトを出て一ヶ月、最初の時には彼らはある程度食物を持って出ていた・・・けれど、それを使い果たしてしまう。お腹が空いて死にそうだ・・・でも、ここでも、神さまは大きな御業をなさいます。天からパンが降るというのです。
1 「天からの」パン
それは天からのパンでした。朝起きると地が薄い霜のようなもので覆われている。それは神さまがイスラエルのために用意してくださったパンでした。私たちを満たし、養ってくださるのは神なのです。
2 「日ごとの」パン
それは日ごとに与えられたパンでした。その日のものはその日のうちに食べなければ腐ってしまった。虫がついてしまった。これはため置きはできません。その日の分はその日に集めなければならなかったのです。そしてそれは日ごとに必要を満たしてくださる神に信頼するということでもありました。そして、神は四十年の荒野の歩みにおいて、ずっと毎朝毎朝、マナを降らせて民を支えてくださいました。四十年間ずっとそうだったのです。
主イエスはおっしゃいました。明日のことは心配しないでいい。知ってください。神様は私たちの今日だけではなく、私たちの生涯、主の御前に立つその日まで、私たちのすべての必要を満たしてくださるのです。そして、そのことを信頼して生きることを、主は願っておられます。
3 天からの「パン」
この出来事は、神さまが今も、私たちのことも責任をもって養い、導いてくださるということを教えています。
パンとは何でしょうか。
@私たちが生きるためのすべての必要・・・主は私たちの必要をご存じなのです。
Aみ言葉・・・旧約聖書の時代から、人はパンだけで生きるのではない、そうではなくて、ご飯を食べてればそれでいいのではなくて、神の口から出る言葉が人を生かすのだというのです。そして、神は日ごとの糧を与えてくださるのです。
B主イエス・・・また主イエスはヨハネの六章で、こうおっしゃいました。私は命のパン、天からのパンだ。パンが与えられるどころではない、神は主ご自身を私たちに与えて、差し出して、私たちを生かしてくださるのです。ちょうどパンが裂かれて人を生かしていくように、主イエスも十字架の上でご自身を裂いて、私たちに与えてくださいました。私たちはこのお方によって日々支えられていくのです。
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