chuo@8008amen.com


2012年
2013年
2014年
2015年
1月 4日 11日 18日 25日
2月 1日 8日 15日 22日
3月 1日 8日 15日 22日 29日
4月 5日 12日 19日 26日
5月 3日 10日 17日 24日 31日
6月 7日 14日 21日 28日
7月 5日 12日 19日 26日
8月 2日 9日 16日 23日 30日
9月 6日 13日 20日 27日
10月 4日 11日 18日 25日
11月 1日 8日 15日 22日 29日
12月 6日 13日 20日 27日

錦織 寛 牧師の礼拝説教の録画映像は、
CGNTVにおいて視聴できます。
こちらからどうぞ

転がされていた石  マルコ16章1〜8節

錦織 博義 師

ところが、目をあげて見ると、石はすでにころがしてあった。この石は非常に大きかった。(4)

 主イエスさまは十字架につけられ死なれた。イエスさまのからだは、アリマタヤのヨセフらの手で降ろされ、墓に納められた。――当時の墓は崖の岩をくり抜いた横穴式であった。――そこには大きな石があった。
 女性たちは、イエスさまに香油を塗ろうと思ったが、あの大きな墓石のことを思い出し、(どうしようか?)悩みながら、墓に向かっていった。というのも、その石は「非常に大きかったからである」とあるとおりである。
 ところが、近づいて、ふと「目を上げてみると」「石はすでに転がして」あるではないか!
 イエスさまは死を打ち破って甦られた。イエス・キリストの甦りは、この大きな石がすでに転がされていることに象徴されている。
 私たちの上にのしかかっている最大の石は、「罪」である。これは私たち自身でも、他人の手を借りてもどうにもならない。悪魔は罪を犯させるまでは、「大したことはない。みんなやっている。一回だけでいいじゃあないか」と言って来るが、一度犯すと「お前罪を犯したではないか!」と責め立ててくる。時には忘れている時もあるが、何かあると頭をもたげ、あなたを責め立ててくる。どんなに忘れようとしても、どうにもならない心の痛みである。しかし、イエス・キリストの甦りによって、その石はすでに転がされているのだ。
 「神のさばき」という石もある。罪を犯した場合、単に良心の呵責にさいなまれるだけではなく、神のさばきがあるのだ。この石は私たち上の重くのしかかっている「死」という石であるが、それが、イエス・キリストの十字架のよって全く処理され、「すべてが終わった」と言われた時、私たちの救いは完成したのである。目を上げて見てごらん!石はすでに転がされているから……。神さまはイエス・キリストの十字架が私たちの救いのために充分であったことをお認めになり、三日目に甦らせられたのである。石はすでに転がされたのである。
 福音は、「目を上げて見たら、すでに」ということである。私たちが「罪の赦しのために何をしようか?」というのではない。
 私たちのできなかったことを、主はなして下さったのだ。主は勝利を得て下さったのだ。「目を上げて見ると」。人間的な常識から「目を上げて」見ようではないか。石はすでに転がされているのである。心配する必要はない。すでになされているのだ!


    
愛読の友
毎日の心の糧に
聖書の一節から
ショートメッセージ


生活の処方箋
日々を楽しく過ごす
ためのヒントが
ここに