主よ、お助けください、わたしたちは死そうです マタイ8:23-27
そこで弟子たちはみそばに寄ってきてイエスを起し、「主よ、お助けください、わたしたちは死にそうです」と言った。するとイエスは彼らに言われた、
「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちよ」。それから起きあがって、風と海とをおしかりになると、大なぎになった。(25-26)
今日の聖書の箇所には、弟子たちは主イエスに従った、とあります。聖書は神様に従い、主イエスに従っていったら、すべての問題は解決するとは言いません。主イエスに従っていったのに、大嵐・・・ということもあるのです。
1 私たちの人生の大嵐
この時起こった、激しい暴風は彼らの何とかできる範囲を超えていました。彼らの知識も経験もこの時には何の役にも立ちませんでした。私たちの歩みの中にもそのようなことがあるかもしれません。自分たちの知恵や常識、努力や今までの経験などが全く役に立たないようなそういう時です。
2 パニックになった弟子たち
彼らは死を覚悟し、主イエスに言います。主よ、お助け下さい。私たちは死にそうです。ある意味、私たちはここまで追い込まれないと、なかなか神様を求めないものなのかもしれません。しかし、そのような絶体絶命のピンチの中で、主に助けを求めることのできる人はさいわいです。そして、主イエスはそのような私たちの叫びを聞いてくださるのです。
3 神に信頼する主イエス
主イエスはおっしゃいます。「なぜ、こわがるのか。信仰の薄い者たちよ」。そして、主イエスは立ち上がって、風と海をおしかりになり、嵐を止めてくださったのでした。
私たちの歩みの中にも思いがけない嵐が来ることがあります。しかし、主は私たちを救ってくださいます。大事なことはそこにもいてくださる神様に信頼することです。その意味で、嵐の中で寝ておられたイエスさまはとてもよい見本です。もちろん、イエスさまはとても疲れておられたのでしょう。でもそれ以上に父なる神様に信頼しておられたのです。
私たちは何で主イエスのように生きることができないのでしょう。私たちのうちに神に背を向けて歩んでいる後ろめたさがあるからかもしれません。しかし、主イエスは、そんな私たちを救うためにこの世に来てくださいました。そして、私たちの罪を全部負って十字架の上で死んでくださり、信じる者の罪は全部赦すとおっしゃったのです。
信仰の薄い者たち・・・しかし、主は私たちをあわれみ、私たちが神に信頼して命に生きることができるようにしてくださいます。そしてどんな嵐の中でも神に信頼して、平安の中に歩む道を与えてくださるのです。
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