水のほとりに植えられた木のよう エレミヤ17章5〜8節
おおよそ主にたより、主を頼みとする人はさいわいである。彼は水のほとりに植えた木のようで、その根を川にのばし、暑さにあっても恐れることはない。その葉は常に青く、ひでりの年にも憂えることなく、絶えず実をむすぶ。(7〜8)
エレミヤはイスラエルの国がバビロンに滅ぼされてしまうという末期的な時代に、預言者として活躍しました。エレミヤはいうのです。間違いなく、バビロンは襲ってきて、エルサレムの神殿も崩されてしまう。民はエルサレムに連れて行かれてしまう。しかし、エエレミヤは神がその滅びの向こうに回復を備えていてくださることも力強く語ったのでした。そして、ここでもエレミヤが語ったのは、主にたより、主に信頼するということだったのです。
1 信頼の向かうところ
エレミヤは言います。あなたがたは生ける水の源を捨てて、水ためを掘った。水ためでは間に合わないのです。水ためはいざというときに役に立たない。しかし、主に信頼する人は大丈夫。その信頼の根拠は、私たちが信頼するお方がどのようなお方であるかということによっています。まさにこのお方は生ける水の川なのです。このお方がすぐそばにいてくださって、このお方に根をのばすことができるから、その信頼は安全なのです。
2 信頼するということ
この「信頼する」とは大の字になって寝るというところから来ているのだともいいます。つまり主に全く委ねきっている姿です。いろいろな困難がないわけではない。でも主がそこにいてくださることのゆえに、主にゆだねて安心するのです。
それは、神さま以外の自分や他の権力者たちや、馬や、お金や城壁の高さや、そのようなものに頼ることをやめ、悔い改めることです。そして、そこには主にたよる者らしい生き方がある。主に頼っているから主に祈るし、主に頼っているから、そのみ声を聞こうと御言を開く。主に頼っているから、主のみ声に従うのです。
3 その結ぶ実
知ってください。日照りがある。暑さがある。まわりの草草や木々は赤茶けて枯れてしまうかも知れない。しかし、主に信頼し、その生きる水の源なるお方につながっていたら、まわりがどんなに枯れてしまうような状況であっても青々と葉を茂らせます。何も心配要らないのです。絶えず実を結ぶのです。新しい年度を迎えました。私たちは実を結ぶかどうかと心配しなくても大丈夫です。絶えず実を結びます。主にたよって歩んで行ったら大丈夫なのです。
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