一歩を踏み出す ヨシュア記1章1〜9節
わたしはあなたに命じたではないか。強く、また雄々しくあれ。
あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない。(9)
ヨシュアとイスラエルの民は恐れを抱えながら、ヨルダン川の東側に立っていました。けれども、主は語られます。今、あなたがたは立ってこのヨルダンを渡り、イスラエルの人々に与える地に行きなさい。しかし、そこにいるのは高い城壁をもった町々であり、背の高い民です。
けれども主はヨシュアを励まし、約束を与えて前に進ませなさいました。
1 良い地が備えられている
イスラエルの民は四〇年にわたって荒野を放浪しました。実際、荒野の生活しか知らない民も多い。その前は?その前はエジプトで奴隷だった。しかし、神はすばらしい地をそなえてくださっている(申命記8:7-10、11:11-12)。
その地は非常に豊かな実りのある地であると共に、そこはいつも主が顧みてくださり、主の目がいつもそこに注がれている・・・そこに主は導いてくださるのです。
2 主は共におられる
主はヨシュアにおっしゃいます。「わたしが共にいる」。一緒にいてくれても余り頼りにならない人もいます。けれども、私たちと共にいてくださるお方は主なるお方です。このお方は・・・
@モーセと共にいたように
モーセと共にいたように、あなたと一緒にいてくださいます。いろいろな困難があっても心配は要りません。
Aいつも
あなたの生きながらえる日の間、主は共にいてくださいます。主は決してあなたを見放すことはないのです。
Bどこに行くにも
あなたがどこに行くにも主は共にいてくださいます。主がおられないところはありません。
3 御言に立って
共にいる・・・という主は私たちに御言に立つことを求めておられます。
@約束のように・・・大事なことは与えられている約束に立つことです。主の御言は必ずなるのです。
A御言を思え・・・昼も夜も御言を思いましょう。主が共にいてくださるとは、まさに、御言が私たちの生涯の中に共にあるということなのです。
B御言に従え・・・ことごとく守って行い、右にも左にもまがるな。それが命の道だからです。
最後に
大事なことは共にいてくださる主を信じ、御言に従って一歩を踏み出すことです。主は約束のように私たちと共にいて、私たちに勝利を与え、約束の祝福にあずからせてくださる、良い地に導いてくださるからです。
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