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キリストによって和解させて下さった コロサイ1章1〜9節
井下 泰文 師
神は、御旨によって、御子のうちにすべての満ちみちた徳を宿らせ、そして、その十字架の血によって平和をつくり、万物、すなわち、地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、彼によってご自分と和解させて下さったのである。(19〜20)
使徒パウロは、コロサイ書の冒頭で彼らの主イエスに対する信仰とすべての聖徒への愛とを感謝し、祝福の祈祷をささげ、揺らぐことなく、しっかりと信仰に踏み止まり、福音の希望から移り行くことがないように勧めています。
神は私たちが神に背を向け、自分の思い通りにして神を悲しませる生き方を選び取っていたにもかかわらず、私たちが気づくずっと前から目を留め、心を向けて愛を注いで下さっています。まるで敵のように背を向けて歩んでいる私たちを闇の力、支配から救い出して御子イエスによって神と和解させて、もう一度神の大いなる愛に心を向けていくことができるようにして下さいました。
神は、ご自身の愛をもって私たちを造って下さいました。しかし、私たちはその愛に気づかずに自分の好き勝手に、神に背を向けて歩んでいました。しかし神は、そんな私たちを闇の力から救い出して、そのままにしておかれずに、大事なひとり子である御子をこの地上に遣わしてくださいました。御子は私たちと同じ人の姿、この弱い、傷つき疲れ易い体を持っておられました。的はずれ――私たちを造られた神に背を向け、自分勝手に歩み、周りにあわせて罪を犯して闇の力に支配されていた私たちの罪を赦し、贖いを受けられるように私たちの身代わりとなって十字架にかかり、救い出して私たちを御子のご支配の下において下さったのです。
聖書の約束に立って、私たちは神の子の身分をいただいていて、もはや罪人ではないことを受け止める必要があります。
神はどれほど大きな愛を注いで下さったか、その大いなる御業を見落としてはいけません。これは決して当たり前のことではなく、奇跡です。
神の御声に聞き従わず、主イエスに導かれずに歩んで行く道は、闇の力に導かれて滅びに向かって歩いて行く道です。そのために見えない神のかたちであられる御子が、寸分違わずに私たちと同じ肉体をとってこの地上を歩んで下さいました。ただ一つ、罪は犯されませんでした。全く傷の無い供え物として、あの十字架にかかるためです。私たちの一挙手一投足を見直して、主イエスに導かれ、主イエスのご支配のど真ん中を歩みましょう。
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