chuo@8008amen.com


2012年
2013年
2014年
2015年
1月 4日 11日 18日 25日
2月 1日 8日 15日 22日
3月 1日 8日 15日 22日 29日
4月 5日 12日 19日 26日
5月 3日 10日 17日 24日 31日
6月 7日 14日 21日 28日
7月 5日 12日 19日 26日
8月 2日 9日 16日 23日 30日
9月 6日 13日 20日 27日
10月 4日 11日 18日 25日
11月 1日 8日 15日 22日 29日
12月 6日 13日 20日 27日

錦織 寛 牧師の礼拝説教の録画映像は、
CGNTVにおいて視聴できます。
こちらからどうぞ

私の神に感謝する  ピリピ1章3〜6節

わたしはあなたがたを思うたびごとに、わたしに神に感謝する。(3)

 「わたしの神に感謝する」というところから、すべてのことが始まっている。「わたしの神に感謝する」というのは、「わたしは神を信じる」とか、「わたしは神を愛する」というのと同様に、一つの「宣言」である。

感謝する神は「わたしの神」
 主イエスが教え、天地を創造されたお方であったとしても、本当に神を「わたしの神」として知っているだろうか。 教理としては分かっていても、自分の現実とはなっていないということがある。「神はこの世界を支配しておられる」と言っていても、自分は例外なのである。真っ先に言わなければならないことは、このお方は「わたしの神である」ということである。

神を告白すること
 「感謝」という語は「告白」という意味を持っている。「信仰を告白して神を本当に信じなければ、「感謝」することはできない。「わたしの神」と言えなければ、神に感謝することはできない。
 では、私たちはどんな時に「感謝」するだろうか?何か自分が得をしなければ、なかなか感謝できない。「得をする」というが、どうして「損」か「得」かが分かるだろうか?それは、自分の物差しで計って決める。他人から見たら違うこともある。あるいは反対に、「あの人はどうしてあんなに喜べるだろうか?」と驚くような辛い境遇にありながら感謝し、喜んでいる人もある。それは、単に気分だけの問題だろうか?辛い立場に置かれたら、やはり辛いに違いない。自分の気分や、損得勘定だけを考えるならば、とても感謝などできない。だのに、なぜ喜んでいるだろうか?それは神が「わたしの神である」と信じることができるからである。

それは神をほめたたえること
 これは自分の気分でするのではない。神を「わたしの神」と知っているからこそ、そう受け入れているからこそ、その神を賛美しないではおれなくなる。その神を心からほめたたえ、この神を心から礼拝するから、「賛美」と「礼拝」を切り離して考えることはできない。
 ヨブは大きな試みに遭って、財産も子供も一瞬にして失った。その時、こう言った「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主がとられたのだ。主の御名はほむべきかな」と。辛い目に遭えば、「なぜ自分はこのように裸にされたのか。何で、こんなひどい目に遭わなければならないのか」とつぶやく。しかし本当に「わたしの神はほむべきお方である」という信仰があれば、その前に賛美の言葉が出てくるのではなかろうか。今週も「わたしの神に感謝」しよう。


    
愛読の友
毎日の心の糧に
聖書の一節から
ショートメッセージ


生活の処方箋
日々を楽しく過ごす
ためのヒントが
ここに