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錦織 寛 牧師の礼拝説教の録画映像は、
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こちらからどうぞ

神は愛なり ルカ15章11〜24節

錦織博義 師

神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。 それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。   (ヨハネによる福音書3章16節 )

 ラクラタンチヌスというギリシャの哲人は「宗教」をこう定義をしました。「宗教とは、我と神との関係である」。そして、神をどのように考え、信じ、受け入れているかによって世には、多くの宗教が生まれました。
 では、聖書は神をどういうのでしょうか?聖書は神は独りであると言います。そしてその神は「天地の造り主」なるお方です。そして、私たちが神によって造られたということはそこには目的があるということです。
 机には机の目的があり、椅子には椅子の目的があります。同じように神さまは、私でなければならない目的を持って私たちを造られたのです。
 そして聖書はまた神は私たちの天の父だと言います。「父」だということには、二つのことが考えられます。一つは「父は絶対だ」ということです。言葉を変えて言うならば、「変えることはできない」ということです。あのお父さんしか、あなたのお父様はいないのです。
 もう一つは、親子の関係は愛情の関係だということです。なかなかいまではそうは言えない悲しい現状があるが、本来は親は自分の子どもは無条件にかわいい。
 「神は愛である」と聖書は言います。「愛」は相手がいます。その神の愛の相手は「わたし」であり「あなた」なのです。では、神の「愛」の相手である「わたしたち」はどういうものだろうか?聖書は「罪人である」と言います。「罪」とは、神に背を向け、神の愛を信じないことです。そして、聖書は、「罪を犯した魂は死ぬ」と言います。「すべての人が罪を犯したので、神の栄光が受けられなくなっている」が、神は愛の故に赦したい。しかし、赦したのでは神の正義は成り立たない。「正義」は罪を犯した人を赦してはくれない。
 そこで、神は最後の手段としてご自分の御子をこの世に降し、彼をわれわれの代りに呪いの十字架上に罰することによって神の正義を貫かれたのです。そして、イエス・キリストが私たちの罪を十字架上で身代りに受けて下さることによって、われわれのすべての罪を赦されたのです。
 イエスさまは誰かに頼まれて十字架に架かられたのではありません。イエスさまは私たちを憐れんで、自ら進んで身代りになられたのです。そして、それを素直に信じることが信仰なのです!


    
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