私の思い起こした望み 哀歌3章21〜32節
主のいつくしみは絶えることなく、そのあわれみは尽きることがない。これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい。(22〜23)
この哀歌は、エルサエムが陥落してしまう中で、とても大きな嘆きの中におかれた作者の歌です。イスラエルの民は、この悲しみの経験を忘れませんでした。悲しみの中に同時に神のあわれみと御真実をも見たからです。
1.自分たちの罪深さ
作者が思い起こしたのは、自分たちの罪深さということでした。イスラエルの『民はエジプトで奴隷であったところから救い出され、神の民とされて、約束の地に導き入れられました。しかし、彼らは神に背き続け、神ではない偶像に頼り、罪を重ねるようになります。主は何度も悔い改めのチャンスをくださったのです。しかし、彼らはそれを拒み、主に背き続けました。
神を拒み続けるのは恐ろしいことです。しかし、その中にあっても自分の罪深さに気づいたら、砕かれて神に近づくことです。
2.近寄ってくださる主
けれども、この作者は深い悲しみと嘆きの中で、主に呼ばわります。そして、廃墟と苦しみの中にあっても、自分たちに近づいてくださる主に出会うのです。もともと、そのような災いに遭ったのは、彼らの責任です。彼らの背きの結果を彼らは刈り取っていたのです。しかし、彼らが自分の罪を認めて呼ばわったとき、主は彼らに近づいてくださいました。しかも、それは彼らを裁き滅ぼすためではありませんでした。主は彼らに近づいて、「恐れるな」と語ってくださったのです。
3.主のいつくしみ
この作者は、イスラエルの中に語り継がれてきた賛美を思い起こします。それは彼らの信仰の賛美であり、神の言葉でした。彼らは、度々この賛美によって勝利を与えられ、この賛歌を主にささげたのです。そして、この賛美は、主のあわれみといつくしみをイスラエルの民に思い起こさせるものでした。そうだ、
あのときも、あのときも、主はそうであった。彼らは主をあがめ、変わることのない、主の御言の御真実を思い起こすのです。そして、彼らは、暗い夜はやがて明けて、新しい神様の恵みが注がれようとしていることを確信したのです。
私たちは戦後70年を迎えました。それはマサニ」エルサレムが廃墟になっていた期間と同じです。主はこの国を顧みてくださる。この国を祝福し、恵みといくつしみを注いでくださる。私たちは悔い改めを新たにして主に近づき、主に呼ばわって、変わらない御言をもって私たちを支えてくださる主を仰ぎたいと思います。
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