主の救いを見よ 出エジプト14章10〜18節
あなたがたは恐れてはならない。かたく立って、主がきょう、あなた方のためになされる救を見なさい。(13)
イスラエルの民がエジプトを出立して、紅海のほとりにまで着いたころ、エジプト中の戦車が集結して、怒り狂ってイスラエルの民に迫ってきました。しかし、モーセは民に言います。恐れてはならない。かたく立って、主がきょう、あなたがたのためになされる救いを見なさい。主があなたのために戦われるから黙っていなさい。そして神は驚くべき救いを民のために行ってくださったのでした。
1 恐れることをやめよ
恐れても仕方がないと思える場面です。しかし、神はしようとしておられることをご存じです。私たちは自分の置かれた歩みの中でどれだけ、恐れ、また不安に閉じ込められてしまうことでしょうか。でも、知ってください。神さまは結末をご存じです。
2 固く立ち神のなさることを見よ
彼らが見ていたのは紅海であり、また砂埃を上げて迫ってくるエジプト軍でした。それらを見て、イスラエルの民は腰砕けになり、座り込んでしまったかもしれません。しかし、神はおっしゃいます。立て、神の御業を見よ。神に、その御業に私たちの視線を向けるのです。
3 黙れ
じたばたするのをやめて黙ることです。詩篇に「わが魂はもだしてただ神を待つ。わが救いは神から来る」という言葉があります(62:1)。また詩篇46:10には「静まって、わたしこそ神であることを知れ」という言葉があります。私たちは口を開くと、神に対して文句を言ったり、つぶやいたり、余計なことを言ってしまったりする。「静まって」とは「やめよ」ということなのです。私たちには口を閉じなければならないことがあるのです。
神のなさること
それではそのような民のために神は何をしてくださったのでしょうか。モーセは言いました。主があなたがたのために戦われる。そして、主はイスラエルの民が思いもしなかったことをしてくださいました。海の水が二つに割れて道が出来る・・・など誰も信じられないことです。しかし、それが起こった。もっと信じられないことがあります。神の子が人となって十字架で私たちの罪を負って死ぬと言うことです。そして絶対に救われるはずのない、滅びるしかなかった私たちが救われたのです。この出エジプトの出来事は、イスラエルの人々の歴史の原点でした。いつでも、彼らはここに立ち返ったのです。私たちも同じです。いろいろ苦しいことがあり、つらいことがあり、どうしていいかわからないような時に、自分が罪の中から救い出されたという救いの原点に立ち返るのです。
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