御霊によって歩きなさい ガラテヤ5章16〜26節
わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。(16)
パウロはここで「御霊によって歩きなさい」と言います。これは勧めではありません。また、努力目標でもありません。主はすべてのキリスト者にそれを求めておられるのです。
1.肉の歩み
あなたがたはかつては罪のくびきの奴隷になっていた。でもあなたがたは主イエスのあがないによって自由にされた。十字架はあなたを自由にした。しかし、罪は、ここでは肉という言い方もするのですが、まるで今でも自分が主人であるかのような顔をしている。そして、あなたがたを不品行や汚れ、好色というような性の乱れ、偶像礼拝やまじないと言った神以外のものに頼ること、様々な人間関係の問題や、泥酔、宴楽と言った神以外のもので、心を満たすことに夢中にさせて、神様を忘れさせようとする。
けれども、神はそのような罪や肉からあなたがたを自由にしてくださった。だまされてはいけない。私たちは肉によって、肉に従って、肉の言いなりになって生きるのではないのだ。
2.御霊による歩み
神様は私たちを罪から救ってくださいました。私たちは救われ、またきよめられて、御霊によって歩み続けていく。御霊による歩みとはどのようなものでしょうか。それは愛にあふれた歩みです。神様が私たちに与えて下さる自由は、私たちが人を愛して生きることができるようにする。ここで愛するというのは、決して好き嫌いの問題ではありません。その人のために命を捨てることです。とことん仕える自由に生きるということなのです。
3.御霊による歩みをもたらすもの
私たちに御霊による歩みをもたらすのは、キリストの十字架です。24節には、キリスト・イエスに属するものは、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである、とあります。キリストはその肉をも、十字架にかけて滅ぼしてくださいました。
ここで御霊によって歩きなさい」とあるのは、「歩き続けなさい」という意味です。御霊はあなたのあるべき姿を示し、私たちを導いて、キリストの与える自由に生かしてくださいます。皆さん、御霊は私たちが主イエスを信じる時に、私たちのうちに住んでいて下さいます。このお方をあがめ、御言を通して語られるこのお方の御声に日々従って行くのです。御霊が罪を示し、悔い改めを迫られるときには、悔い改め、また従うことを求められるときには従うのです。神様は自由で祝福に満ちた歩みへと、私たちを召していてくださるのです。
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