人生の旅支度 使徒行伝21章7〜16節
錦織 博義 師
あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。 (ローマ13:14)
エペソにおける盛んな伝道のあと、パウロはエルサレム行きを決意し、ピリピから船でトロアスに渡り、そこから南下し、ミレトから地中海を渡ってツロに行き、遂にカイザリヤについて長い船旅を終えた。ここから陸路二日の旅路を終えると、目的地であるエルサレムに着くことが出来る。この時の記事が「わたしたちは旅装(旅支度/旅の準備)をととのえてエルサレムへのぼった」である。
パウロの旅支度
ここで「旅装をととのえる」とあるのは「荷造りをする」とか「馬の手配をする」という意味である。パウロの多くの旅の中で、このカイザリヤ出発の時だけわざわざ「旅装をととのえて」とあるのは、この短い旅がただ単に馬の準備をしたり、荷造りをしたりと言った外部的なことだけではなく、もっと内面的・本質的な「旅支度」が必要であったことを示しているのではなかろうか。
それは「わたしは、主イエスのためなら、エルサレムで縛られるだけでなく、死ぬことも覚悟しているのだ」(13)という心の決意であった。新しい旅にいで立つ今、パウロは、キリストその福音のためであるならば、その命を捨てるようなことがあろうとも、一切意に介さないという心の「旅装」「旅支度」「旅の準備」をととのえたのではなかろうか!
キリストを着る
わたしたちも、様々な人生の旅に出る。財布を用意し、下着を備え、時には杖も必要であるかも知れない。しかしイエスさまは弟子たちに、これらの一切を持たなくてもいいと言われる。カイザリヤからエルサレムへの緊迫した事態の中で、パウロの「旅支度」は「キリストを着る」ことであった。このキリストのために生きまた死ぬ、新しい決意こそが全てであった。
旅は楽しい。しかし時には不安もある。人生の旅も同様である。明日のことも知れない憂いに心重くなる時もある。しかし、キリストと共にする旅は常に平安である。このキリストに常に見守られ、愛され、支えられていく者にとっては、「すべてのことにおいて勝ち得て余りがある」日々を送ることができる。
私たちは、やがて新しい年度を迎えようとしている。この朝、もう一度「古き人を脱ぎ捨て」「キリストを着ようではないか」(ローマ13:14)。
|