栄光から栄光へ Uコリント 3章18節
わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡のように映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。
これは霊なる主の働きによるのである。
新しい年を迎えて新しく主を期待し、さらに主の恵みによって変えていただきたい、そのように期待しましょう。神さまはすばらしいことを私たちのために計画し、そのことをしてくださるのです。
1 栄光から栄光へと
「栄光」と言われても、とてもとてもそんな期待はできやしない・・・それが現実だ。でも主はあなたのことを栄光から栄光へと変えてくださるという。確かに、私たちは罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていた。でもそんな私を、主はそのひとり子イエスのあがないによって救ってくださった。罪深い私がもったいないことですが、神の栄光を担うものとされた。欠けがなくなってしまうわけではない。失敗しなくなってしまうわけでもない。けれども、主はその栄光をになうものへと変え続けてくださるのです。
2 主と同じ姿に
ここで「栄光」とは主と同じ姿に変えられていくことです。それは、主イエスの中にあったものが、私たちのうちにも形作られていくことであり、主イエスに似てくると言うことです主に似ると言うことは、決して時に人間的に華華しい歩みをするということではないのです。主イエスは黙々と十字架の道をあゆんで行かれました。その意味では、その道はとても地味で、だれにも気づかれないようなことかもしれません。けれども、それが何よりもすばらしいことなのです。
3 私たちはみな
ここで、パウロはコリントの人々に、私たちは皆、と言いました。実はコリントの教会はパウロを悩ませ続けていました。多くの問題を抱えていました。けれどもそんな中から彼らは悔い改めて立ち上がったのです。そんな、コリントの人々にパウロは言います。私たちは皆・・・これは主によってあがなわれ、救い出された私たちのために備えられた既定路線なのです。「わたしたちは皆」そのように変えられるのです。
どうやって?
ではどのようにして、そのことは私たちに起こるのでしょうか。
@主に向く
A主を見続ける
B霊なる主の働きによって
こでパウロはこれは霊なる主の働きによる、と言います。霊なる主が、私たちの生涯にそのことをしてくださるのです。栄光から栄光へと主と同じ姿に。
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