chuo@8008amen.com


2012年
2013年
2014年
2015年
1月 4日 11日 18日 25日
2月 1日 8日 15日 22日
3月 1日 8日 15日 22日 29日
4月 5日 12日 19日 26日
5月 3日 10日 17日 24日 31日
6月 7日 14日 21日 28日
7月 5日 12日 19日 26日
8月 2日 9日 16日 23日 30日
9月 6日 13日 20日 27日
10月 4日 11日 18日 25日
11月 1日 8日 15日 22日 29日
12月 6日 13日 20日 27日

錦織 寛 牧師の礼拝説教の録画映像は、
CGNTVにおいて視聴できます。
こちらからどうぞ

神の聖なる民  出エジプト記19章1〜6節

しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから、驚くべきみ光に招き入れてくださったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。  (Tペテロ2章9節)

 イスラエルの民は困難に困難を重ねて、荒野の旅を続けてここまできた。しかし、これも信仰の目をもって見るならば、鷲の翼に乗せられるような旅を続けてきたのである。私たちは信仰生活をしながら、この世を歩んでいる。そこには困難もある。しかし、それを神の側から見ると、すなわち、信仰を持って見ると、まさに鷲の翼に乗せられての旅なのである。もし神の恵みがなかったならば、これだけの旅は続けられなかったであろう。
 その後に、「あなたがたはわたしに対して祭司の国となり、また聖なる民となるであろう」とある。「聖なる民」となることは、「祭司の国」となることであるという。では「祭司の国」となるということは、みんな一緒に祭司生活をする。すなわち、「ともに礼拝を献げる」ということである。私たちの生活が
全部集中され、ここからこの世における生活に力を得ることができ、否、命を得ることができる。同時に祭司の務めは、「献げること」と「執り成すこと」である。
 それでは「わが主の聖なる民」とされたとはどういうことか。それは、地のすべての民から、神のものとして選ばれたということである。「聖なる民」ということが大切なことは、私たちが神に選ばれたという点にある。イスラエルの民が神から選ばれたのは、数が多いとか、一番勝れているとか、一番能力があったからではない。何の力もないのに、神は彼らを愛されたのである。そこに、イスラエルの救われた意味がある。これは、私たちにも言えることである。私たちの頼みとするところは何か?何もない。ただ神に愛されたこと、神が約束して下さったこと、そのことだけである。
 しかも神は、私たちを「宝の民」とされたというのである。その民が「宝」のように立派であるというのではなく、神の方から言って「これだけは離したくない」というのである。それは私たちにその原因、理由があるというのではない。もし何か資格を求められるのであれば、絶望する他はないだろう。そういう意味で、神がこれだけ大事にしたいと思われる民が、私たちだったのである。しかもその確信は、私たちに根拠を置くのではなく、神にある。それを否定するとしたら、それほど傲慢なことはない。神が「そうだ!」と言われるから、私たちは感謝して、「アーメン!」と信じるのである。


    
愛読の友
毎日の心の糧に
聖書の一節から
ショートメッセージ


生活の処方箋
日々を楽しく過ごす
ためのヒントが
ここに