悩むとき、そこにある助け 詩篇46篇
神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。(1)
心が清いとはどういうことか、私は心が清いかと問われると、正直に言って少々不安になります。でも同時に、私たちは心がきよくありたいのです。
1 私たちをとりまく現実
私たちは、いろいろな弱さの中に置かれることがあります。普段の時には意識しないのですが、自分の能力や体力の限界を思い知らされることがあります。聖書は言います。私たちは神によって造られたすばらしい存在だ。しかし同時に、私たちは土の器です。地のちりで造られて、やがてまたちりに戻っていくのです。
悩むとき・・・と詩篇の記者は言いますが、まさに私たちは時に悩むのです。たとい地は変わり、山は海の間中に移るとも・・・これだけは変わることがない、動くことがないと思っていたものが変わってしまうことがあるのです。もろもろの民が騒ぎ立ち、もろもろの国は揺れ動く。戦いがごく身近に起こってくる。まさにこの詩篇の記者の身辺にもそのようなことがおきて、神の都とされたエルサレムまでもが危機にさらされていたのかもしれません。それが現実なのです。
2 それでも恐れない
それもこの詩篇の記者は、われらは恐れない、と言います。なぜそんな風に言えるのでしょうか。その鍵はここです。「万軍の主は共におられる」。このお方は、私たちの避け所であり、助けです。どんな時にもそこに逃げ込んだら安全であり、また必要な助けを得ることができる。悩むことがないわけではない。でも、私たちが悩むとき、そこで、助けをいただくことができるのです。
3 主と共にある生き方
主がともにいてくださることを知っている私たちはどのように生きるのか。二つのことがあります。
第一は、バタバタするのをやめることです。私たちは大変な時に、「大変だ!」と言いたくなります。悲鳴をあげます。時には不信仰な発言もでてくるかもしれません。しかし、ジタバタするのをやめて、またぶつぶつ言うのもやめて、主の御前に静まるのです。
第二に、神を神とするのです。天地を創造し、あなたを造ってくださった主がいてくださる。このお方は、わたしが神だと言ってくださる。神としてあなたの生涯の内に責任をもって働いてくださるのです。
あなたが悩むとき、そこに主がいてくださる。そしてあなたと共におられる主は、あなたのために驚くべきことをしてくださる。そして、の詩篇の記者は「われら」「われら」と言います。ひとりで信仰に立てないときにも、となりにいる人があなたの信仰を支えるのです。
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