あなたにきよい衣を ゼカリヤ3:1−5
み使は自分の前に立っている者どもに言った、「彼の汚れた衣を脱がせなさい」。またヨシュアに向かって言った、「見よ、わたしはあなたの罪を取り除いた。あなたに祭服を着せよう」。(4)
イスラエルの民は、捕囚の地から帰還し、神殿の再建に着手するのですが、挫折して土台だけできた神殿は十五年間放置されます。しかし、そのような時に、ゼカリヤやハガイといった預言者が神様からの御言を聞いてイスラエルの民を励ましたのでした。
ゼカリヤは幻を見ます。神の前にきよい者として仕えるべきヨシュアが汚れた衣を着て立っているのです。汚れた姿で神様の前に立っている、悪魔に責められても、笑われても言い返すことのできないヨシュアの姿がありました。
しかし、ここで神はヨシュアを責めるのではなく、サタンを責められます。そして、もう一度、主の御用ににふさわしい者へと整えられるのです。
1 汚れた衣を脱ぐ
汚れた衣を着たままでは主に仕えることはできません。私たちは自分の罪を悔い改め、それから離れる必要があります。まず脱がなければ着ることはできないのです。そして、神はおっしゃいます。「わたしはあなたの罪を取り除いた」。
2 きよい衣を着せる
脱ぐだけでは十分ではありません。神はきよい祭服をヨシュアに着せてくださいました。私たちは自分の努力できよくなるのではありません。主がきよい衣を備えて、私たちに着せて下さるのです。ここでヨシュアには何もできることはありません。ただ、脱がせて下さり、着せて下さる主に身をゆだねるのです。
3 清い帽子をかぶらせる
祭司は特別な帽子をかぶりました。ちょうどおでこの所に金のプレートをつけるのです。そして、その金のプレートには次のように書かれています。「主に聖なる者」。神はヨシュアを「主に聖なる者」、主の特別な御用に立つ者として召してくださったのです。
そして主の使いはヨシュアに言います。あなたたちは、しるしとなるべき者たち、神の栄光をあらわすべき者だ。「しるし」とは「驚き」とか「奇跡」とも訳すことのできる言葉です。全く無力で、みじめで、力のないヨシュアが、そして帰還の民が、神のしるしとなる、驚くような主の恵みを表すようになるのです。
「わたしのしもべなる枝」とは救い主のことです。主は私たちをきよい者とするために、主イエスを送り、その血潮によって、私たちをきよめてくださいました。主が聖なる者としてくださったから、私たちも聖なる歩みをするのです。
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