主の御手の中で エレミヤ18章1〜12節
主は仰せられる、イスラエルの家よ、この陶器師がしたように、わたしもあなたがたにできないのだろうか。イスラエルの家よ、陶器師の手に粘土があるように、あなたがたはわたしの手のうちにある。 (6)
主はエレミヤに、立って、陶器師の家に下って行くようにと語られました。そこでは陶器師はろくろで作業をしていました。陶器師は何回でもそれをつぶして、こねて、叩いて、満足できるまで、器を作り続けたのでした。
神さまがおっしゃいます。エレミヤ、陶器師がその粘土にしたように、わたしもあなたがたにできないだろうか。陶器師の手に粘土があるように、あなたがたも私の手の中にある。
1 主権者なる神
あなたはわたしの手の中にある。それはまさに主が私たちの歩みの主権者であることを示しています。私たちが主なのではなく、神なるお方が主なのだ。そういうふうに粘土をこね、そういう形に作るのか、イメージをいだき、具体的に手を入れ、造り上げていくのは主なのだ。自分の思い、自分の欲のままに生きていくというのではないのです。
2 最高の陶器師なる主
この神は私たちの陶器師です。名人です。そしてこの名人の作ったものは傑作ばかりです。この名人の作品にはこの名人の銘が刻まれます。この名人は自分の作品に自信をもっています。誇りをもっています。満足しなければ、世に出すことはありません。このお方には間違いはありません。必ず、すばらしい器に造り上げてくださる。私たちはこのお方の作品なのです。
3 陶器師の手の中にある私
私たちはこのお方の手の中にあります。このお方は私たちをご自身の傑作として造り上げようとしておられます。大事なことがあります。それは
@悪を離れ悔い改めること
主はエレミヤを通して語られます。あなたがたは悪しき道を離れ、その道と行いを改めなさい。私たちはもう一度神さまの前に真実に出たいと思います。悔いあらためるように神が迫られることについては、素直にそれを認めて新しい歩みを始めることです。
A主の手の中に自らを委ねること
陶器師の考えておられるイメージはあなたの持っている計画やイメージとは違うかもしれません。しかし、つっぱらないで、肩の力を抜いて、信頼して、陶器師なるお方に委ねることです。自分の計画を一旦おいて、主が語られる事を聞いてください。
エルサレムは非常に危機的な状況の中にありました。しかし、主は、まさに滅びようとしているイスラエルも見捨てない。主はあなたを造り上げ、ご自身がベストだと思われる形に、形作ってくださるのです。
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