わたしの霊による
ゼカリヤ4章 1〜7節
万軍の主は仰せられる、これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである。 (6)
指導者ゼルバベルには多くの不安や恐れがありました。大きな山が自分の前にどーんと置かれているような状況なのです。しかし、万軍の主は語られます。「これは権勢によらず、権力によらず、わたしの霊による」。
1 権勢でも能力でもなく
権勢とあるのはあなたの持っているもの、お金とか、軍隊とか、そのようなもの、能力とはあなたのうちにある力とか知恵とか健康とかそのようなもののこととされます。ゼルバベルにはお金もなければ、軍隊もありません。また特別なタラントというか、すぐれた才能を持ち合わせていない。
確かに権勢で比べたら、また能力で比べたら、到底かなわない敵がいるし、問題がそこにある。でも神はおっしゃるのです。だからだめというのではない。権勢で勝負するのでも、能力で勝負するのでもないのだ。だからあなたが何がなかったとしても、それは問題ないのだ。
2 わたしの霊による
主はゼカリヤを通してゼルバベルにおっしゃいます。「わたしの霊による」。私たちは、目に見えないものは存在しないと考えたりします。しかし、神は目に見えるものはやがて過ぎ去るとおっしゃいます。ゼルバベルに、そしてヨシュアに神の霊が注がれて、神様の期待している業を必ず完成していく。それは彼らの力ではなく、彼らの上に注がれている主の霊の働きによるのです。
この「霊」という言は旧約聖書の中では「息」「風」とも訳される言葉です。最初神が人をお造りになった時に、土のちりで形を作って、そのあと命の息をこれに吹き入れられた。そうしたら人は生きたものとなったのでした。まさに人を生かすのはこの神の息なのだ。そして神の息が、聖霊の風が私たちを生かす。そしてこの私たちのうちに与えられている神の霊がそれをしてくださるのです。
主は、この新しい年の初めに私たちにも語られます。わたしの霊による。私たちは多くの困難な課題を抱えています。弱さをかかえ、また向き合わなければならない多くの困難があります。しかし、私たちはその問題の大きさに押しつぶされることはないし、自分が何ももっていないことを知って悲しむのでもありません。なぜなら、万軍の主が、わたしの霊による、とおっしゃるからです。
主の霊が今日もわたしたちに注がれています。この「わたしの霊」とおっしゃるお方が、私たちに力を与え、主がなそうとしておられるわざを全うさせてくださるのです。
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