祝福された者・楽しい地
マラキ3章
こうして万国の人は、あなたがたを祝福された者ととなえるであろう。
あなたがたは楽しい地となるからであると、万軍の主は言われる。(12)
マラキは、イスラエルに住む民に対して、世界中の人たちがあなたのことを祝福された者/しあわせな者、楽しい地/喜びの国と呼ぶようになる・・・と語ります。けれども、それがあなたの現実になっていないのは、あなたがたは曲がったことをしているからではないか。
1 神のものを盗んでいないか
マラキは答えます。あなたはささげるべきものをささげないということによって神のものを盗んでいる。イスラエルの民は神に十分の一をささげるようにと命じられていました。 十分の一を献げたら生活が成り立たない・・・おそらく民は思ったのでしょう。しかし、主は天の窓を開いてあなたを祝福しようとおっしゃいます。
神は、私たちが喜んで、ささげる時に、それを喜んで受け取ってくださる。そして、天の窓を開いて、あふれる祝福をそそいでくださる。什一献金だけではありません。私たちは神さまの時間を盗んでいないだろうか。神さまがしてほしいと願っておられるのに、後回しにしていないだろうか。
神はとんでもなく大きく、また気前よく、私たちに無償の恵みを与えてくださいました。私が救われるために、主イエスを送ってくださったのです。
2 喜んで神に仕えているか
次に神はおっしゃいます。あなたがたは私に逆らっている。でもイスラエルの民は言います。逆らってなんかいませんよ。でも神さまはおっしゃいました。お前たちは言っているではないか。「神に仕えることはつまらない」神に仕えても何の得にもならない。意味がない。だって、高ぶって、悪を行い続けている人が栄えているし、神さまに逆らっても何の罰も受けない・・・」。けれども神さまはおっしゃいます。私は聞いているよ。主を恐れる者、その名を心にとめる者は必ず報われる。義人と悪人、神に仕える者と仕えない者が差がないなどと言うことはない・・・
確かに地上の私たちの歩みにおいては主に従うことがまるで愚かに見えてしまうことがあるかもしれません。やがてすべてが精算されるときが来る。神さまは決してけちなお方ではない。豊かな恵みをこの世においても、またきたるべき世においても私たちに与えてくださいます。
喜びをもって主に仕える道こそが、一番祝福された、一番楽しい人生なのです。
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