わたしが命のパン
ヨハネ6章 22〜40節
錦織由香師
わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。(35)
私たちは生きています。そして、この体を維持していくためには食物が必要不可欠です。けれどそれよりももっと大切なものを求めるようにとイエスさまは言われました。なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠の命にいたる食物を求め、また努めるようにと言われたのです。
そして、この朽ちない食物のことをイエスさまは神のパン、天からのまことのパン、或いは命のパンというふうにも言っておられます。そして主イエスこそがその命のパンなのです。そのパンとはどのようなものなのでしょうか。
1 命を与える
このパンはこの世、すなわち私たちに命を与えるものだとイエスさまは言われました。聖書はたとえ息をして心臓が動いていたとしてもそれで生きているということにはならないと言っています。天地創造のはじめに神が土のちりで人を造り、神の息を吹き入れたときに初めて人は生きた者になりました。けれども罪を犯してしまったときに肉体はすぐには死にませんでしたが、心は神さまから離れ、死んだものとなってしまったのです。このパンはそんな私たちをもう一度生かして、神との生きた関係を回復させ、永遠の命を与えてくださるのです。
2 決して飢えることがない
この命のパンであるイエスさまに出会う時、人は命と力とに満ちあふれます。この命のパンを食べたら何も問題がなくなり、二度と不安や恐れを感じることがないと言うのではありません。しかし、この命のパンである主イエスは全く救い、困難や試練の中にあっても勝利を与えてくださいます。
3 終わりの日によみがえる
世界はいつか終わるときがやって来ると聖書は言っています。その日がいつなのかはわかりません。その日、わたしたちはよみがえるとイエスさまは約束してくださっています。
イエスさまは私たちが永遠の命を得るために、飢えることがないために、そして終わりの日によみがえるために、罪のために死んでいた私たちの身代わりとなって十字架にかかり、ご自身の血を流し、肉を裂かれ、死んでくださいました。
私たちがこの命のパンをいただくとは、主イエスを受け入れ、あなたの救い主として信じることです(6:29)。。イエスさまという命のパンをいただいて決して飢えることのない永遠の命とよみがえりの約束を受け取っていただきたいと思います。
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