御言葉が開かれる経験
詩篇119篇129-136節
み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。(130)
この119篇に繰り返される中心メッセージは「神の言」です。そして、この119篇の中で、「あかし」「戒め」「さとし」「定め」「おきて」「約束」といろいろな言い方をしていますが、みな神の御言葉のことです。
1 御言葉への渇き
昔は、神はいろいろな方法で語られ、語られた言葉が書き留められました。ただ昔は印刷などがありませんから、人々は、御言葉を誰かが読んでくれるのを聞いたり、御言葉を讃美にして歌ったり、また暗唱して何度も思い出しました。ここで詩篇の記者は、わたしは口を広く開けてあえぎ求めます、と言います。つばめの巣で、雛たちが大きな口をあけてえさを求める。ここで詩篇の記者はわたしはそのような渇きをもって、御言葉を慕って、求めるのです、と言うのです。さて、この御言葉への渇きというのは、やっぱり最近聖書読んでないなあ、やっぱりしばらく読んでいないとというのではありません。もちろん、そうだとしたら、ぜひ御言葉を開いていただきたいと思います。
けれども、同時に単に、読んだ読んだ、ノルマをこなしたというにとどまらない、御言葉が開ける経験をぜひしていただきたいのです。
2 御言葉が開けるとは
@今、わたしに語られている御言葉として聞く ただ読んでいるだけでなく、その御言葉が今のわたしに語られる神の言葉として迫ってくる体験です。
A自分のこととして現実として神を知る 何か人ごとではなく、昔話でもなく、今、この言葉を通して、今、わたしに語られている神の前に立たされる体験なのです。
B御言葉が分かる 聖書には神の知恵が満ちている。そして、聖霊に導かれて、信仰によって御言葉が分かるようになる。それはまるで真っ暗な中に光が照り出でるような経験です。そして、その御言葉は私たちが神を知り、神を神とし、恐れて生きる生涯へと私たちを導くのです。
3 私たちの歩みを確かにする御言葉
御言葉は私たちを不義から守り、私たちの歩みを確かなものとします。様々な惑わしや誘惑がある中で、御言葉は私たちを守り、神の御心の中を歩ませます。私たちは知恵なく愚かであっても、御言葉に知恵を与えられて歩んだら大丈夫です。
車田秋次先生が私たちに残してくださったこと、それはまさに、この御言葉が開ける体験、御言葉に生かされる生涯なのです。
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