わたしがきたのは、罪人を招くため
マタイ9:9-13
イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。
いるのは病人である。 ・・・わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。(12〜13)
ガリラヤ湖の近くに収税所がありました。収税所とは、おそらく何らかの通行税を取るような場所だっただろうと言われています。そこにマタイという人が座っていました。
マタイに声をかけられた主イエス
主はマタイを見て、彼に「わたしに従ってきなさい」と声をかけられました。主は今日も、このところに立ち、私たちに声をかけてくださいます。人は私のことを散々に言うかもしれません。しかし、主はそんな私のことも見捨てない、そんな私も御許に引き寄せてくださるのです。
立ち上がってイエスに従ったマタイ
マタイは立ち上がり、イエスさまに従う決断をします。従ってきなさい、と語られる主にそのまま応答してついていくのです。
どうぞあなたも主に答えてください。主はあなたを裏切ることはありません。あなたに目を向け、声をかけておられる主イエスに、考えているだけではなく、信じてついていってください。
マタイの生涯がこの日を境に大きく変わったように、主は信じてついていく人の生涯を変えてくださいます。このマタイのもともとの名前は「レビ」でも彼は後に、主の十二弟子のひとりとなり、「マタイ(主の贈り物)」という名前で知られるようになるのです。
罪人の友となられた主イエス
10節のところの家は、どうもマタイの家だったようです。マタイは主イエスを自分の家にお招きして、食事会をしました。そして自分の友人・知り合いを招いたのでしょう。しかし、主イエスがマタイの家で、彼の友人達と食事を楽しんでいることを宗教家たちは苦苦しく見ています。
主イエスは彼らが罪人であることを知っておられました。しかし、主イエスはそんな彼らをあわれんで、彼らを招いてくださいました。主イエスは、魂の医者です。魂が病気の人、罪人の側に来てくださるのです。そして魂の医者である主イエスは、その心が病気の人の心を直してくださる、健やかな心にしてくださる、神の恵みの中に生きる者へと変えてくださるのです。まさに主イエスはそのために来てくださったのです。
もし本当は自分も心の癒しが必要だと気づいておられるなら、魂の医者である主イエスのところに行ってください。主は私たちの友として、横に座って、主イエスの招きに答える者たちの生涯を造りかえてくださるのです。
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