生命と平安に生きる
マラキ2章
彼と結んだわが契約は、生命と平安との契約であって、わたしがこれを彼に与えたのは、彼にわたしを恐れさせるためである。(5)
キリスト教のメッセージを表す言葉に「信じる者は救われる」という言葉があります。今日は、主イエスが語られた「信仰」についてお話ししたいと思います。
1 自分には問題があるという認識
多くの病人が主イエスのところにきました。また人々から白い目で見られ、「罪人」というレッテルを貼られているような人々も主の前に来ました。彼らには共通点があります。彼らは自分に問題があるということを認識していた、認めていたのです。
2 主イエスにはできるという信頼
会堂司はイエスさまのところに来ていいます。「娘が死にました。でも、おいでになって手をその上においてやってください。そうしたら娘は生き返るでしょう」。ふたりの盲人は、「わたしにそれができると信じるか」と問われるイエスさまに「主よ、信じます」と答えます。信じるとは、主イエスに対する信頼です。私は問題を抱えている。私は救いを必要としている。そして、主は私の必要に答えることがおできになると信じるのです。私たちの心の問題、罪の問題にも主は解決を与え、救いを与えることができるのです。
信仰とは、何でもかんでも信じればいいとか、信じる心は美しいとか、そういうことではありません。この主イエスに対する信頼なのです。
3 信頼に伴う行動
信じるとは、「信じます」と告白するだけではありません。信じるということはそこに行動を伴うのです。会堂司はイエスさまのところにやって来ました。十二年間長血をわずらっていた女はうしろから主イエスの衣にさわりました。二人の盲人たちは、主イエスに向かって叫びました。主は彼らの信仰をごらんになるお方です。
主イエスは言われました。あなたの信仰があなたを救ったのです。これはあなたの信仰力が問われていると言っているのではありません。私たちがすがり、信じるお方は私たちの小さな、また時には欠けのある信仰にも答えて、私たちを救ってくださいます。私たちにゆるしを与え、命と平安とを与えて下さるのです。
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