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よみがえられたのだ
ルカ24章1〜12節
あなたがたは、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。
そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ。 (5-6)
三日目の朝、マグダラのマリヤや、ヨハンナ、ヤコブのお母さんのマリヤが用意して置いた香料を持って、イエスさまのお墓に急いでいました。
女たちは、今でもイエスさまが死んでしまったなんて信じられません。これから私たちはどう生きていけばいいのだろう・・・女たちは思っていました。
お墓が近づいてきます。でも、お墓の入り口にあった大きな石が転がってしまっています。女たちはお墓に走って行きました。中に入ってみると、確かにイエスさまのお体がどこにも見当たりません。女たちはどうしていいか分かりませんでした。
その時、女たちの前に、輝く衣を着た二人の天使が現れました。天使は言いました。「あなたがたはなぜ生き方をお墓で捜しているのですか。イエスさまでしたら、ここにはおられません。死を打ち破ってよみがえられたからです。イエスさまは前からおっしゃっていたでしょう。思い出しなさい。ほら、イエスさまはおっしゃっていたではありませんか。『わたしは必ず、十字架につけられて殺されるけれども、三日目によみがえる』」。
女たちはそう言われて思い出してみました。「確かにイエスさまは三日目っておっしゃっていたわ」「三日目によみがえるっておっしゃっていたわ」。確かに聞いていました。でも死んでよみがえるなんて考えもつかなかったのです。
女たちはお弟子さんたちのところに走って行きました。弟子たちは戸を固く閉じて部屋の中に隠れていました。女たちは言いました。「すごいニュースよ。イエスさまは、イエスさまは、イエスさまは、よみがえられたのよ!」。
イースター、主イエスがよみがえられたことを喜ぶ日です。私たちの罪を負って死んでくださったイエスさまはよみがえって、今日も生きておられます。
主イエスがよみがえられたから
- 私たちは、イエスさまの十字架の死が神さまにあがないの供え物として受け入れられたことを知ります。
- 罪に死んでいた私たちが、罪をゆるされて、神の命・新しい命・永遠の命に生きることができるようになります。今も生きておられる主イエスとの交わりの中に生きるのです。
- 主イエスを信じる私たちもこの地上での歩みはやがて終わりますけれど、やがてイエスさまがよみがえられたようによみがえるのです。
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ショートメッセージ
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