私の羊飼いなる主
詩篇23篇
主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。
主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。(1〜2)
今日読みました詩篇23篇は多くの人に愛されている詩篇です。
1 導き手である主
羊は弱い動物で、飼い主がいないと生きていけないと言われています。敵を攻撃する武器を持たず、足も遅く、近眼で迷いやすいというのです。それはある意味、私たち人間の姿そのものなのです。けれども、この詩篇の作者は言います。主はわたしの牧者だ。
@乏しいことはない
主はわたしのことをちゃんと緑の牧場に導いてくださる。豊かに柔らかい草のあるところに導くことができるし、フレッシュな水のある水場を知っておられる。そこにある、「伏させ」とか「いこいの」みぎわという言い方は、主が導いてくださる道が本当に私たちのリラックスできる場所であることを示しています。主はそのような場所を知っていてくださるのです。
A正しく導かれる
主はそのような緑の牧場・いこいのみぎわに導いてくださいます。その歩む途中には、「死の陰の谷」と思われるような厳しいこともあるかもしれません。でもこのお方が一緒だったら何の心配もありません。主は道を知っていてくださるからです。
2 祝宴をもたらされる主
5節は突然、戦いの場面になります。
しかし、ここでも主は私たちを守ってくださいます。
@敵の前で
あなたの敵の前で・・・聖書は言います。主は、あなたの敵の前であなたの前に宴を設けてくださる。これ以上ない危険で不安にあふれた状況の中でも、主は平安をもって支え、喜びを与えてくださるのです。
Aあふれる杯
主が恵んでくださる、祝福してくださるというときに、それは決してちょっとだけ与えて、これくらいでがまんしなさい、ということではありません。主はあふれるほどに恵みをそそいでくださるのです。
B追ってくる祝福
私の生きている限り、必ず恵みといつくしみが追ってくる。私たちが恵みを求めて、恵みを追っかけるというのではありません。恵みの方が追っかけてくるのです。
私たちはなんとさいわいな恵みの世界に生かされていることでしょう。この詩篇では詩篇の作者は「主は」「主は」と言うのですが、途中から「あなた」と呼びかけています。私たちの神なるお方を主として崇めつつ歩む時、私たちは主との親しい交わりの中に生かされていくのです。
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