御霊のために今日あなたは何を蒔きますか 小川 堅 師
ガラテヤ5章16-26節、6章8節
すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から永遠の命を刈り取るであろう。 ガラテヤ6章8節
この世には様々な生き方があります。けれども、聖書には明確に二つの生き方が教えられています。パウロは今日の箇所で、二つの生き方を対比しています。一つは肉のためにまいて生きる生き方、もう一つは御霊のためにまいて生きる生き方です。
1 肉に蒔く生き方
肉に蒔く生き方とはどんな生き方でしょうか。聖書の時代、パウロが宣教していた時、そのような生き方を数多くの人がしていました。多くの不品行・不道徳・間違った教えが教会の中に入り込んできていたのです。
このように記されています。「不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、およびそのたぐい」(19-21)。
2 御霊のためにまく生き方
御霊のために蒔くということは、御霊様が喜ばれる生き方をすることです。つまり、イエスキリストを信じて、お従いすること---これを御霊様は一番喜んでくださいます。それは自分の力で実行しようとすると絶対できません。これはイエス様のなさる奇跡です。
私は、幼い頃、いじめられ、大人においては軽蔑、無視されたり、誤解されることがありました。そういう人たちを赦すことはなかなかできないことです。しかし、イエスキリストの十字架で示された神様の愛と御人格に触れていく中で、聖書を通して「赦しなさい」という細い御声を聞きました。私にはできないことですが、「お言葉ですから従います」と告白する時に神様が赦す力を与えてくださいました。
タンザニヤで宣教する中でもある先輩の牧師の柔和な姿勢に多くのことを教えられています。
3 宣教との関わり
ガラテヤ書の御言葉はパウロの宣教の中で書かれたものです。霊に蒔くということは、まかれる種を想起させます。「キリストへの信仰と従順」という種があり、それを蒔くか「不信仰と不従順」という種を蒔くかにより、御霊の実を結ぶか、肉の行いの実を結ぶかどちらかが決まります。その刈りとる結末は、「永遠の命」か「滅び」のどちらかしかありません。
種は実の中にあるように、私たちが実らす実には種があります。それは至るところにまかれていくのです。
キリストへの信仰と従順が御霊の実を結び、それは永遠のいのちへと至らせるのです。御霊のためにあなたは今日何を蒔くのでしょうか?
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