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もし愛がなければ
Tコリント13章1節〜13節
このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。(13)
皆さんはどんな人になりたいですか。お金持ちになりたいですか。勉強のできる人になりたいですか。美人になりたいですか。有名人や、スターになりたいですか。政治家になりたいですか。学校の先生ですか、看護師さんですか。それとも保育士ですか。
どれもすばらしいでしょう。でもどんなにお金があっても、もし愛がなかったらそのお金は何にもなりません。あなたが歌をいっぱい練習して、歌手になっても、またピアノをがんばってピアニストになっても、もしあなたの心に愛がなかったら何にもなりません。あなたが勉強が最高にできて、たくさん発明して、ノーベル賞をもらったとしても、愛がなかったら何になるでしょう。あなたがすごく美人で、またはイケメンで、ファンが世界中にいたとしても、愛がなかったら何にもなりません。あなたが有名人になって毎日テレビに登場するような人になったとしても、愛がなかったらとても空しいのです。
この箇所は愛の章と呼ばれています。ただこの愛の章はコリント教会に宛てて書かれた手紙の一部です。この当時コリント教会はこれでも教会かというほど多くの問題を抱えていました。愛し合っているというよりは、何かいつもいがみ合ったり、足を引っ張りあっている・・・それがコリント教会の現状でした。私にはこれができると自慢したり、できない人を見下げたりしていました。だからパウロは言ったのです。何ができるとかできないとかどうでもいいじゃないか。もし何かができると言ったとしても、もし、その人の中に愛がなかったら何にもならない。かえって迷惑だ。ではパウロが言った愛って何でしょうか。
それはゆるし、受け入れる心だ、それはいばったり、自慢したりしない。自分のことばかり考えるのではなく、人のことを考える。いらいらしたり、すぐに怒ったりしない。間違ったことはしない。正しいことを喜んでする。愛はいつまでも変わらない。他の何を持っているとか、何ができるとかいうことはみんな変わってしまう。でも愛はいつまでも残る。
でもその大事な大事な愛はどうしたら自分のものになるのでしょうか。神さまに愛されている、神さまに知られている、ということを受けとめて、神さまを見つめていると、愛が与えられてくるのです。変わることのないイエスさまの十字架の愛にすがっていると、愛することができるようになっていきます。イエスさまはただわたしたちが、神さまの愛によってイエスさまの十字架のあがないによって救われておしまいではなくて、イエスさまが愛のお方であったように、愛する人になるようにしてくださるのです。
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