どうぞ目を開いて
列王下6章8〜23節
そしてエリシャが祈って「主よ、どうぞ、彼の目を開いて見させてください」と言うと、主はその若者の目を開かれたので、彼が見ると、火の馬と火の戦車が山に満ちてエリシャのまわりにあった。(17)
ある日、エリシャの召使いの若者が朝早く起きて出て外を見るとスリヤの軍勢が町を取り囲んでいました。若者はエリシャ先生のところに走り込んできて言います。「ああ、先生、私たちはどうしましょう」。慌てふためき、恐れおののいている若者に対してエリシャは平然としています。だからどうしたとでも言うかのようです。エリシャは言います。「恐れることはない。我々と共にいる者は彼らと共にいる者よりも多い」。そしてエリシャは祈ります。「主よ、どうぞ、彼の目を開いてください」。
すると彼の目が開かれた。彼が見ると、火の馬と火の戦車が山に満ちてエリシャのまわりにあったのでした。
1 共にいてくださる主
知ってください。あのエリシャたちの危機の時、実は危機でも何でもなくて、おびただしい数の火の馬と火の戦車が取り囲んでいたように、今も主は私たちと共にいて、私たちの周りに火の馬・火の戦車をめぐらすようにして私たちを守ってくださる。詩篇の記者も「主の使いは主を恐れる者のまわりに陣をしいて彼らを助けられる」(詩篇三四7)と言います。
2 目を開いて見させて
悲しいことはそのような天の軍勢に囲まれているのに、主は救いを助けを約束し、共にいてくださるのに、共にいてくださる主が見えないと言うことです。目が開かれたら見ることができて、見ることができたら何も心配いらない。ところが私たちの目が曇っていてしばしば見るべきものが見えない。自分を取り巻く敵はとてもよく見えるけれども、私たちの信じるべきお方がどのくらい強いお方かそれが見えていない。
エリシャは祈りました。どうぞしもべの目を開いてみさせてください。私たちも心の目を開いて見せていただきたい。神様がどんなお方なのか、私たちはどんなに大きな祝福を与えられているのか、神様の力がどんなに大きなものか、見るべきものを見せていただきたいのです。
3 見るべきものから目を離さない
見るべきものが見えたら、そこから目を離さないことです。へブル書の記者は言いました。イエス・キリストから目を離してはいけない。目を離すべきものから目を離し、見つめるべき方をきちんと見つめるのです。
非常に危険な状況があることも嘘ではありません。しかし、私たちは目を開いていただいてみるべきものを見つめて生きようではありませんか。
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