時が来ると成就する神の言葉
ルカ1章5〜25節
御使が答えて言った、「わたしは神のみまえに立つガブリエルであって、この喜ばしい知らせをあなたに語り伝えるために、つかわされたものである。時が来れば成就するわたしの言葉を信じなかったから、あなたは口がきけなくなり、この事の起る日まで、ものが言えなくなる」。 (19〜20)
主イエスがお生まれになる一年前に、御使いガブリエルが、祭司ザカリヤに告げました。恐れるな、ザカリヤよ、あなたの祈りが聞き入れられたのだ。ザカリヤはこう聞いて、思い巡らしたはずです。どの祈りだろう。ガブリエルは言うのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産む。ザカリヤはまるでガブリエルの言葉を遮るように言います。あり得ないです。わたしも妻もすっかり年をとってしまいました。ガブリエルはザカリヤに言うのです。あなたは時が来ると成就するわたしの言葉を信じなかった。だから、この事が起こる日までしゃべれなくなる。
1 主は祈りを聞かれる
ザカリヤたちはきっと二人で心を合わせて祈っていたのだと思います。しかし、神の答えのないまま、月日がたち、もうあきらめていたのです。しかし、神は聞いておられました。彼らが祈るのをやめ、何を祈っていたのか、忘れてしまうようなことがあったとしても、主は覚えておられました。私たちが祈るということは本当にすばらしいことです。主は私たちの祈りを聞いて、その聞いた祈りを忘れられることはないからです。
2 主は語られる
主は私たちの祈りを聞かれるだけでなく、語られるお方です。聖書の神は人格をもっておられる。神は語られるのです。人間が造る神は語りません。本音で言うと、わたしたちに語られたくないのです。でも神は語られる。そして神の御言は救いのメッセージ、恵みのメッセージ、変わらない神の約束なのです。今も主は語られます。聖書の御言を通して語られるのです。
3 主は信じることを求められる
私たちに自ら語られる主は、私たちにご自身の言葉を信じることを求められます。主の語られることは必ず成就するからです。時が来れば、とガブリエルは言いました。このところで、ガブリエルは年老いたザカリヤとエリサベツに子どもが生まれるという預言を伝えました。けれども、クリスマスの時にはもっと大きな神さまの言葉が成就しました。それは、ダビデの子として救い主、メシヤ、キリストが来てくださるという神の言葉でした。時が来て、その神さまの約束は成就した。祈って、御言が与えられて、主はその御言を成就してくださる。主が語られた言葉ほど確かなものはないのです。
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