主が天に窓を開かれて
列王紀下6章24節〜7章20節
そして彼らは互に言った、「われわれのしている事はよくない。きょうは良いおとずれのある日であるのに、黙っていて、夜明けまで待つならば、われわれは罰をこうむるであろう。さあ、われわれは行って王の家族に告げよう」。(9)
スリヤの軍隊はサマリヤを囲み、サマリヤを兵糧攻めにします。サマリヤの町の中はとても悲惨な状況になり、母親が子どもを食べると言うことさえ起こっていました。しかし、エリシャは「明日には、大麦は十五リットルで銀貨1枚。小麦は半分で銀貨1枚で売り買いされる」と言います。その話を聞いていた王の副官は「たとい主が天に窓を開かれても、そんなことがあり得ましょうか」と言いました。しかし、その通りになったのでした。
1 天に窓を開かれる主
どうしてそんなことが起こりうるだろうか。絶対にそんなことあり得ない・・・。その町は敵の軍隊で囲まれてしまっている。状況は日々悪化し、もう白旗を上げて降参するしかない。というか、もう生きる道はないかもしれない。しかし、主は天におられ、主は天の窓を開いて私たちに祝福を与えることができる。どんなに絶望的な状況の中にあっても、主は私たちを救うことができる。私たちには全くお手上げ、神も私を救うことができないとか、神にもこの状況を変えることはできないということはありません。主は天に窓を開いて、私たちを救ってくださるのです。
2 さあ行って、告げよう
さて、スリヤの軍勢は、大軍の音を聞いて、恐れを成して一夜のうちに逃げていってしまいました。けれども、そのことをサマリヤの人々は誰も知りません。もうすでに救いはなされているのにサマリヤの町の中で震えているのです。たまたま、四人の重い皮膚病の患者たちが、どうせ自分たちは死ぬんだからと町の外に出て行って、スリヤの軍隊がもぬけの殻であることに気づきました。彼らは天幕に入って食い飲みします。しかし、お腹がいっぱいになった時、彼らは気がつくのです。私たちのしていることはよくない。私たちはこんなにすばらしい救いを見た、経験した・・・でもすぐそこの城壁の中では今も飢えて死のうとしている人たちがいる。明日の朝まで待っていてはいけない。さあ、私たちは行って、告げよう。
主は天の窓を開いて、民を救ってくださいました。大事なことは主はそのことをすることができると信じることです。もう一つ、あなたが信じて、主の救いを経験したら、黙っていないで、まだ知らない人たちに知らせてほしいのです。主はすでに救いを備えてくださっているのですから。
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