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生きることはキリスト
ピリピ1章18〜26節

生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストがあがめられることである。 わたしにとっては、生きることはキリストであり、死ぬことは益である。(20〜21)

 今日は1942年(昭和17年)6月26日に起きた昭和のキリスト教弾圧の記念日です。その時、日本基督教団第6部と第9部の教職121名は一斉に検挙され、教会は解散させられました。今日はあれから74年。これらの方々が信仰を守り続けて下さった結果、今日の私たちがいることを忘れてはならないと思います。
 使徒パウロは、「わたしにとって生きることはキリストであり、死ぬことは益である」と言っています。

キリストを喜ばせること
 23節にも「わたしの願いを言えば、この世を去ってキリストと共にいることであり、実は、その方がはるかに望ましい」と言うことは、自分は目に見えるものによって歩いていないということです。自分の目に映る、目に見える世界で計算し、それに振り回されないということです。私たちの信仰生活は、神との関係ですから目に見えないものです。そしてキリストによって生きるとは、私たちが自分の家族と共に生きたり、親しい者と共に生きていくと同じように、「キリストと共に」生きていくことです。生活の中で本当にキリストが生きて下さり、「ただ主に喜ばれる者になる」ことを心からの願っているということです。
 そして『キリストを喜ばせる』とは、「自分を喜ばせることを第一にしない」ことです。キリストを喜ばせ、第一にするならば、必ず自分のことは第二になります。キリストのことに夢中になるからです。ベタニヤのマリヤは、キリストのみ言葉に聞き入って、他のことには気がつかないほどでした。また、キリストに高価な香油を注ぎかけた女性も、われを忘れるほどにまで行かなければ、自分の気持ちを表現ができませんでした。これが「キリストを喜ばせる」ということです。

イエスの死をこの身に負う
 では「自分に死ぬ」ということは、いったいどういうことでしょう。自分が一所懸命禁欲生活をして自分を殺すことではなくして、自分はキリストに愛されていることを知っているから、キリストのために生きることによって、キリストを愛することです。これは、キリストの十字架を抜きにしてはありえないことです。ただひたすら苦しい生活をせよということではありません。その後ろにキリストがおられ、キリストの十字架があるのです。今週もあの先輩たちと同じように、「わたしにとっては、生きることはキリスト」と告白しつつ進もうではありませんか。


    
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