わたしはあなたがたを愛した
マラキ1章
主は言われる。「わたしはあなたがたを愛した」と。(2)
マラキは、主イエスが生まれる四百年前に活躍した旧約聖書の最後の預言者です。今日はこのマラキ1章から、神の言を学びたいと思います。
1 わたしはあなたがたを愛した
マラキは開口一番イスラエルの民に語ります。「わたしはあなたがたを愛した」。しかし、イスラエルの民は言うのです。「あなたはどんな風に我々を愛されたか」。イスラエルの民はこんな風に思っていました。神が本当に愛しておられるのなら、なぜバビロンに捕囚になってしまったのか。神が本当に愛しておられるなら、なぜイスラエルは今もペルシャの支配下にあるのか。なぜダビデの子孫の王が王として即位して独立した国でないのか。
神はイスラエルの民に対して語られます。私はあなたがたを選んだのだ。愛するとは、選ぶことです。神さまはあなたのことも選んでおられます。私たちが神を選ぶ前から、神のことを知る前から、神はあなたを神との特別な関係の中へと召し、選んでくださいました。神はあなたの父であり、あなたは神の子です。神はあなたを愛して、見捨てないで、必ず立て上げてくださるのです。
2 あなたは私を愛しているか
神は愛したイスラエルに対して、また愛を求められるお方です。そして、神は私たちにも愛を求められます。神の愛に応えて神を愛するとはどういうことでしょうか。
@敬う・・・それは神を特別なお方として敬い、あがめると言うことです。神はあなたの主人であり、あなたはそのしもべです。この主人はイスラエルを救い、私たちを救うためだったらどんなことでもしてくださるお方なのです。私たちはこのお方を愛し、敬い、従います。
このお方は愛に満ちた父です。このお方を信頼し、敬うのです。
A恐れよ・・・神を愛するとは単に、神さまが好きだというのとは違います。この大王なる神を神としてあがめ、恐れて生きることです。
この時代のイスラエルの民は、神の前にささげものをするときに、目の不自由なもの、足の不自由なもの、病気のもの、傷のあるものを持ってきました。でもそれは本当に神を敬い、恐れることになるだろうか。
知ってください。神は本当に私のことを愛してくださったのでしょうか。そうです。神はあなたを選んで、あなたが神の子として生きるために、神の一番良いものを与えてくださいました。傷もしみもない小羊のようなキリストを私たちに与えて私たちを救ってくださったのです。
わたしたちのことを愛してくださった神に最高の愛をもってお応えしようではありませんか。
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