主の言葉の真実
列王記上17章17-24節
女はエリヤに言った、「今わたしはあなたが神の人であることと、
あなたの口にある主の言葉が真実であることを知りました」。(24)
シドンのザレパテの女の一人息子が病気になってしまいました。その病気はとても重い病気で、ついに彼は死んでしまいました。彼女は非常に大きな怒りと嘆きをもってエリヤに訴えます。
しかし主はエリヤの祈りを聞き、その子を生き返らせてくださいました。やもめ女は言います。「今、わたしはあなたが神の人であることを知りました。またあなたの口から出る主の言葉が真実であることを知りました」。私たちは、主の言葉を聞き、それを預かり、それを伝えます。そして、私たちが願っているのは、私たちの口にある主の言葉の真実を人々が知ってくださることなのです。
1 口に主の言葉
私たちは口に主の言葉を蓄えたいと思います。ここで「口にある」とは、私たちが口で聴くと言うことです。それがイスラエルの人々の聞き方だったのです。あなたの口には主の言葉がありますか。
ただ同時に、口にある主の言葉と言うときに、預けられた言葉を語るということをも示しているのです。
2 真実である主の言葉
真実な言葉とは・・・
@嘘がない言葉 私たちはウソの言葉に囲まれています。けれども主の言葉には嘘はありません。この言葉は真実です。このことを語られたお方が真実だからです。だからこの言葉に信頼してよいのです。
Aわたしのことを心にかけてくださる温かい言葉 「真実」とは、単に嘘か本当かと言うだけではありません。それは、まさに、主が「本当に」私たちのことを心にかけ、救おうとしていて下さると言うことです。
B力のある言葉 これはまさに言葉と出来事にズレがないということでもあります。主の言葉はまさに死人をも生かすお方の言葉なのです。
3 真実である主の言葉に生きる者
真実である主の言葉・・・という時に、その真実である主の言葉を担う者の真実が問われます。やもめ女の訴えを聞いたときに、エリヤは死んだ男の子を抱いて自分の部屋に戻り、主に呼ばわるのです。主が答えてくださるまであきらめないで求め続けます。それは、自分が委ねられている主の言葉が真実であることを、建前ではなく、本気で信じているからです。本気で信じているから、本気で祈るし、本気で主に近づくのです。私たちも真実である主の言葉にすがって歩んで行こうではありませんか。
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