神は忘れない
ルカ1章46〜55節
主は、あわれみをお忘れにならず、その僕イスラエルを助けてくださいました、わたしたちの父祖アブラハムとその子孫とをとこしえにあわれむと約束なさったとおりに。 (54〜55)
マリヤは主に目を止め、主をあがめ、主を喜びました。主はわたしに目をとめ、わたしに大きなことをしてくださいました。そしてこのお方によって世界は逆転するのだとマリヤは力強く言います。
主は忘れない
この歌の最後で、マリヤは主は忘れないと言うのです。神は覚えていてくださっている。たとい私たちが忘れてしまったとしても、神は忘れません。マリヤは言います。
アブラハムを・・・そしてわたしを
アブラハムと言ったら、イエスさまの生まれる2000年以上前の人です。アブラハムに神さまがおっしゃったのです。「わたしはあなたを祝福する。地のすべての民はあなたによって祝福される」。2000年たって、神さま、時々忘れていたんじゃないの? いいや、神さまは一度たりとも忘れない。神さまとはそういうお方なのです。
神には実現する力がある
神さまはアブラハムに、あなたの子孫はあの空の星のように、浜辺の砂のようになる・・・とおっしゃいました。ただ実際には神さまがアブラハムに語られた時には、まだアブラハムには一人も子どもがいなかった。時々アブラハムは不安にもなったようです。でも神さまは忘れていなかった。それだけではない、神にはそのことがおできになるのです。
神には実現する意志がある
私たちの弱さ、罪深さ、足りなさ・・・にも関わらず神さまは忘れない。私たちを見捨てない。ここでマリヤは「あわれみ」という言葉を用います。それは、神さまの変わらないいつくしみ、そのご真実のことをマリヤは言っているのです。
神の究極の真実としてのクリスマス
神さまは語られたこと、約束されたことを必ず実現してくださるお方です。マリヤは言うのです。今回、自分の身に起ころうとしていること、それは決して、ポッと降ってわいたような神の思いつきではない。神は救い主を送るということをずっと前から約束してくださって、その約束を実現してくださったのだ。
神はその約束の通りに私たちに救い主を送ってくださいました。そしてこの神さまは私たちの今の歩みにおいても私たちを忘れることなく、救い、助けてくださるのです。
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