一つになるため
ヨハネ17章20〜26節 錦織 博義 師
わたしは彼らのためばかりではなく、彼らの言葉を聞いてわたしを信じている人々のためにも、お願いいたします。父よ、それは、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、みんなの者が一つとなるためであります。(20〜21)
主イエスは弟子たちを通して信じる者たちのために祈られました。ヨハネはこのことを忘れることができませんでした。主イエスは弟子たちが主イエスが十字架につけられるときにみんな逃げていってしまうことも知っておられました。でも、やがて、その弟子たちを通して多くの人たちが主イエスを信じるようになる・・・。そしてヨハネはこの主イエスのお祈りを思い出しながら、自分が牧会している教会の人たちのことを思います。彼らはイエスさまに会ったことがない。イエスさまのお話を直接聞いたこともない・・・でもイエスさまはこの人たちのことをすでに知っておられた。イエスさまは彼らのために祈っておられた。
そして、主イエスがこの後の時代の教会のために祈られたのもまた、彼らが一つになるようにということでした。なぜ一つになるということはそんなに大切なのでしょうか。
1 みんなが同じ神を信じているから(21、24)
神を信じると、私たちは、父とキリストとの交わりに入れられます。そして、同じ交わりの中にあの人もこの人も招かれています。だからその神の救いの中に入れられているお互いも一つなのです。
2 神の愛がそこにあらわされるから(23、25)
私たちがひとつであるときに、そこに神の愛が表されます。性格も考えも違う者たちが一つになっているときに、そこに神の愛があらわされるのです。ああ、私たちを愛してくださっているお方がいるのだということを、私たちは一つの交わりを通して知るのです。
3 世が主イエスを救い主として信じるため(21、23)
私たちが一つであるときに、人々は神が私たちを愛しておられることを知り、また神が私たちを救うために主イエスを遣わされたことを知ります。
一つとなるということは決してやさしいことでも当たり前のことでもありません。考え方も思いも、性格も違う者たちが集まっているのです。人間にはできないのだということができるでしょう。けれども、そのために主イエスは十字架について死んでくださったのです。
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