死に至るまで忠実であれ
黙示録2章8〜11節
あなたがたは十日の間、苦難にあうであろう。死に至るまで忠実であれ。
そうすれば、いのちの冠を与えよう。(10)
死に至るまで忠実であれ・・この言葉は私たちにも語られています。主はそのような歩みを私たちにさせてくださるのです。
1 スミルナの教会
スミルナはエペソと同じように大きく豊かな町でした。そして、その町にも教会がありました。しかし、その教会は、苦難や貧しさ、苦しみの中に置かれていました。
2 死に至るまで忠実であれ
@忠実であれ これは、与えられた務めを真実に果たして行くということです。どれだけの成果を上げるかということ以上に、主がもっとよく見ておられるのは、忠実であるかどうかということなのです。
A死に至るまで 死に至るまでというのは「命をかけて」ということです。主イエスは、わたしたちがどれだけ多くのものをささげ、多くのものをかけたとしても決して惜しくないそのような方です。
同時にそれはその生涯の終わりまでということでもあります。昔、そういえばもうちょっと忠実だったことがあるということではなく、その生涯の最後の日までそのように生き続けるということなのです。
3 支えてくださる主
スミルナの教会の人々はどのように死に至るまで忠実であり得たのでしょうか。
@知っていてくださる主
主は知っておられました。彼らがどれだけ貧しく、弱く、小さいか、またどれだけ、彼らが苦しみ、悩んでいるか、主は知っておられました。単に頭で知っているというのではありません。主ご自身が貧しさも苦しみも経験した上で知っていてくださったのです。
Aその苦難は続かない
10日の間、苦難にあう、というのは、スミルナの人々の経験している苦難の時が限定された短い時であることを示しています。苦しみのただ中にあるときには、苦しみが際限なくずっと続くように思えます。しかし、苦しみの時は終わります。主は初めであり、終わりである方、歴史を始め、また完成してくださるお方、死を打ち破ってよみがえって、今も生きておられるのです。
Bいのちの冠が備えられている
誰も私たちの魂を滅ぼすことはできません。敵がどんなに勝ち誇ったとしても、いのちの冠は私たちに与えられるのです。
主は私たちにも語られます。「死に至るまで忠実であれ」。死んでよみがえってくださった主は、私たちをも勝利者としてくださるのです。
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