主をあがめ神をたたえて
ルカ1章46~55節
わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救主なる神をたたえます。(46〜47)
今年のクリスマスは、マリヤの賛歌とか、マグニフィカートと呼ばれる歌を四回に分けて学びたいと思います。イエスさまのお母さんになったマリヤですが、マリヤがすぐれた女性であったことはそうですが、マリヤにそのような話をしたら、おそらくマリヤはとても戸惑うことでしょう。私がすごいのではない、私をたたえてほしくはない、さあ神様をたたえましょう。きっとマリヤは私たちに答えることだろうと思います。
マリヤはただ主を賛美します。クリスマスは主をたたえ、礼拝する時です。クリスマスは神への礼拝と賛美に満ちています。主を礼拝し、賛美するとはどうことでしょうか。
1 主に目を向けること
礼拝するとは主を仰ぎ臨むことです。私たちは自分を見たり、自分を取り巻く状況を見たりします。それはそれで大事なことです。けれども礼拝する時には、私たちは目を上げ、主を仰ぐのです。
2 主をあがめること
そしてここで、あがめるということは英語では拡大するという言葉を使います。私たちは主を見つめ、主で心を満たしていただくのです。主を高め、主を大きく指し示します。もちろん、主はもともと大きいお方です。けれども、私たちは案外、主を小さく見積もり、小さいお方でもあるかのように思っているのです。私たちは主をあがめます。主を大きなお方として受けとめます。けれども私たちがどれだけ神様がすごいのだと言ったとしても、言い過ぎと言うことはありません。まだまだ足りない、それが私たちの主なのです。
3 主を喜ぶこと
たたえるというのは、喜ぶとか狂喜するという意味の言葉です。礼拝するとはまさに主を喜ぶことです。ダビデ王は王でしたが、心から主をたたえました。ネヘミヤが城壁を再建したときに、彼は律法の書を人々に読みました。聞いていた人たちはそれを聞きながら泣きました。自分たちがどんなに罪深い者であるかを思い知らされたと言うこともあったでしょう。しかし、ネヘミヤたちは言いました。「泣いてはいけない。主を喜ぶことはあなたがたの力です」。私たちは主を喜びます。私たちの救い主なるお方を喜ぶのです。
おわりに 存在全体で
ここでマリヤは声をあげて神を賛美します。また彼女は自分の魂も霊も全部で主を喜びました。私たちの霊も心も肉体も、すべてをもって主をあがめるのです。私たちも自分の存在をかけて主をたたえ、主を礼拝したいと思います。
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