求めよ、与えられる
ルカ11章5〜13節
わたしはあなたがたに言う。求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見つかるであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。 (9)
主イエスはおっしゃいました。求めなさい、捜しなさい、たたきなさい。「すべて」求める者は得る、捜す者は見いだす、門をたたく者はあけてもらえる、というのです。そのことを教えるために主はたとえを用いられました。私たちはなぜ祈るのでしょうか、求めるのでしょうか。
1 必要があるから
それは必要があるからです。ある人に友人がいて夜にたずねてきた。相当にお腹が減っています。食べるものはないか、と言うのです。そこには大きなニードがあります。
2 出すものがないから
しかし、大きな問題がありました。家にパンがないのです。自分の力でそのピンチを切り抜けられたらいい。でも、自分にはその力がないのです。出すものがない。助けてくれと叫んでいる人たちが大勢いるのに、そして出してあげたい気持ちはすごくあるのに自分の手持ちは何もないのです。
3 神はそれを与えることがおできになる
そのときに、彼ははっとします。隣の人はパンを持っている。だから彼は隣の人の家の戸をたたきます。「悪いが、うちにお客さんが来たのに何も出すものがない。パンを三つ貸してくれないか」。けれども隣の人はそれを断ります。でも、彼はしきりに願うのです。「しきりに」とは、しつように、ずうずうしく、またはあつかましくということです。なぜでしょうか。
それは隣りにパンがあると知っているからです。私たちは求めるのです。そこに必要があり、しかし、それを自分は満たすことができない。けれども、神にはそれができると知っているからです。私たちは遠慮しなくていいのです。神は喜んで私たちの求めに答えてくださいます。それは私たちが神の子だからです。
神が与えようとしておられる一番よい贈り物とは・・・
さて、では、私たちが求めるべき、そして神が私たちに与えたいと願っておられる、もっと言えば、遠慮なく求めてほしいと思っておられる最高のものは何でしょうか。主イエスはおっしゃいます。それは聖霊だ。主はあなたが求めるなら聖霊を与えてくださるのだ、とおっしゃるのです。
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