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手を開いて
マルコ12章41〜44節

矢花 祈 宣教師

よく聞きなさい。あの貧しいやもめは、さいせん箱に投げ入れている人たちの中で、だれよりもたくさん入れたのだ。みんなの者はありあまる中から投げ入れたが、あの婦人はその乏しい中から、あらゆる持ち物、その生活費全部を入れたからである。 (43〜44)

 今年の11月にブラジル宣教に家族で向かうことになっています。これからの働きですが、第一は日本語でなければ福音を聞くことができない日系一世の方々への働きです。二つ目は日本からの駐在員やその家族への働きです。そして第三は自分たちのルーツに興味を持つ日系ブラジル人のための働きです。どうぞ覚えてお祈りください。
 今日、開いている御言はブラジル宣教への召しを確信した御言です。この箇所には二種類の人が出て来ます。一つはたくさん持っていてたくさん献げていた人、もう一つは貧しいやもめでした。私たちはいったい、どちらでしょうか。この聖書を読みながら、自分は後者かもしれないと思いました。自分たちはブラジルに行くにあたって何も持っていない。ブラジルの言葉も、聖書知識もとても限られている・・・。私たちは自分はこれだけたくさん持っていると思っているかもしれませんが、環境が変わると、案外自分には何もないということに気づくかされたりします。自分は宣教師として行くのには一番貧しいのかもしれない、自分には何ももっていないということに気づかされたのです。
 しかし、貧しいやもめは貧しさの中にあって、持っているものすべてをささげたのでした。自分がたくさん持っているかどうかはともかくとして、自分のものとして堅く握っているものを神様にささげるようにと求められるのです。私たちはなかなか自分の握っているものを手放すことができません。手放すのが不安なのです。自分にも多くの心配がありました。自分がそのような働きに間に合うのだろうか、子どもの教育はどうなるのだろうか・・・いろいろ心配して主にゆだねることができないのです。しかし、その握っているものもすべて神様から与えられたものです。そして、主は大丈夫だから握っているのを手放して従ってきなさいと招いてくださいました。
 なぜブラジルか、は分かりません。そのことを神がさせようとしておられることを感じています。そして、この働きに、皆さんも加わっていただきたいと思っています。私たちにできることは、神にゆだねることです。握っている手を開いて、神にゆだねるときに、神はあなたをも祝福して用いてくださるのです。


    
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