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目標を目指して
ピリピ3章13〜16節、列王上17章17〜24節

錦織 博義 師

兄弟たちよ。わたしはすでに捕えたとは思っていない。ただこの一事を努めている。すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、 目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである。(13〜14)

 ここでパウロは「兄弟たちよ」という言葉を用いて、自分の一番大事なことを語ろうとしている。それは何だったろうか。

ただ一つのことを
 彼は、自分は「ただ一つのことを努めている」と言う。信仰生活というものは一途なものである。パウロは、それを「後ろのものを忘れ前のものに向かった身体を伸ばしつつ生きていくこと」というのである。

後ろのものを忘れ
 第一に「後ろの物」とは何か?人には大いに得意になる事のできるような成功もあるだろう。その反対に、本当に立ち上がることのできないような失意に陥れるような失敗や罪もある。
 預言者エリヤは追放されて、あちらこちらを逃げ回る。そして、あるやもめの所に身を隠していた時、そのやもめの子供が重い病気になり、死んでしまった。すると、18節にあるように「神の人よ。あなたはわたしに、何の恨みがあるのですか。あなたはわたしの罪を思い出させるために、またわたしの子を死なせるためにおいでになったのですか」と言った。不幸な事が自分の身の周りに起って来ると、すぐ自分の過去の罪のせいだと考える。だから、過去を忘れるという事は、罪赦されて感謝な生活をすることである。
 しかし、罪は消しようがない。しかし、神によって赦される時、初めて自分の罪を消すことができる。私たちは、自分の過去の罪の赦しを信じて感謝することによって、過去を葬り去ることができる。

目標を目指して
 競争する時には、当然のことながら一所懸命前に進もうという気持ちがなければならない。すなわち、目標が必要である。では、信仰生活の目標とは何だろう。神がお喜びになる方向が、「前に向かって」進んで行くことである。
 パウロはここで「神の賞与」という言葉を使っている。それを「上に召して下さる」こととする、この「上」というのは「前」と同義である。「前の方から呼んで下さる、神の方から呼んで下さる」のである。主が呼んでくださる。その声に励まされながら走って行くのである。そのように走って行けば、目標が見えてくる。イエスがもろ手を差し伸べて待って下さっているのだ。さあ、今週もこのお方を目指して進んで行こうではないか。主がそこにおられる。


    
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