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わしのように翼をはって
イザヤ40章27〜31節
しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼるこができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。 (31)
わしのように翼をはって・・・鳥にはいろいろな飛び方がありますが、「わし」はとても悠然と飛びます。バタバタと言うよりも、風に乗って高く飛ぶのです。わしは何かを恐れることはありません。私たちは新しい年を迎えました。私たちは、イザヤが語ったように、わしのように翼をはって上る一年をこれから歩み出したいと思います。けれども現実は、まるで、バタバタバタバタ羽をいつも動かしていないとすぐに落ちてしまうかのように、必死で歩んでいる、もがいている・・・それが現実であるように思います。
このところでイザヤは決して自分達の現実を知らない訳ではありません。年若い者も弱り、かつ疲れ、壮年の者も疲れ果てて倒れる。壮年というのは、他の訳では「若い男」「勇士」と訳されています。私たちは元気な人でも、やっぱり疲れることがある、弱ることがある。つまづき倒れることがあるのです。
そしてそのような中で、私たちはふと思います。神さまには見えていない、分かっていないのだ、と断言します。そして言います。神さまはフェアではない。わたしは人一倍損をしている。
けれどもそのような私たちに神さまは約束してくださいます。あなたには新しい力が与えられて、わしのように翼をはって上るようになる。古い力を新しいものに変えていただいて、いつも新しくしていただいて、だから疲れない、弱らない、上ることができる。そうわしのように。
けれどもここで、大事なことはあります。それは主を待ち望むということです。主にとどまる、主に信頼し続ける者には力が与えられる。その信頼する主が、力を与え、強さを増し加えてくださる。私たちは弱り、調子のよいことを言って、頑張れそうに見せながら、勢いを失ってしまう。でも大丈夫だ。あなたが待ち望み、信頼する主は、とこしえの神・地の果ての創造者・弱ることなく、疲れることもない方、その知恵は測りがたいお方だ。そのお方があなたに新しい力をくださる。
私たちは新しい年を迎えました。新しい気持ちでスタートしています。しかし、私たちの新しいはすぐに古くなってしまう。しかし、このお方は私たちをいつも新しくし、わしのように上らせてくださいます。このお方に期待し、このお方を仰いで、新しい年を歩み出そうではありませんか。
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