いのちなるキリスト
ヨハネ1章1〜18 節
この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。 (4)
ヨハネは主イエスを紹介して、主イエスは言だと言いました。「この言葉に命があった」とヨハネは言います。主イエスのうちにあった命とはどのようなものだったのでしょうか。
1 わきあがる命
主イエスは、主イエスを信じるなら永遠の命の水がわき上がるとおっしゃいました。それは単に息をしているというだけでなく、生き生きと生きている、ということです。それは豊かな命でした。ヨハネは主イエスとの三年間を思い起こしながら、本当に主イエスには命があった、生き生きと、愛と喜びにあふれる歩みをしておられたのです。
2 神との交わりに生きる命
命とは、単に呼吸している・心臓が動いているということではありません。それは神との生きた交わりの中にいるということです。後で、主イエスが「永遠の命」ということを語られた時、それは父、および御子との交わりのこと、とおっしゃいました。逆に言うと、神との関係が壊れていることを、聖書は死んでいる、と言います。最初の人アダムは、善悪を知る木からはとって食べてはいけない。きっと死ぬ、と言われていました。確かに、アダムたちがその木の実を食べたとき、彼らは生物学的にはまだ生きていたかもしれませんが、彼らと神との関係は壊れてしまいました。その意味で、罪のゆえに彼らは死んだのです。しかし、主イエスについて、このお方に命があった、と言うとき、それはまさに主イエスと父なる神との間に何のわだかまりもない、生き生きとした交わりがあったということでした。
3 与えられた命
この言に命がある、それは、単に主イエスのうちに命があるというだけではありません。「この命は人の光であった」。それは主イエスのもとに行ったら命がいただけるということです。主イエスは私たちに命を与えるためにこの世に来られました。私たちはこの主イエスを信じる時に、神によって生まれ、神の子としての歩みを始めます。私たちが生きるために、主イエスはご自身の命を与えてくださったのです。このお方を信じる時に、私たちは生きるのです。それはつまり、主イエスが父なる神との親しい交わりに生きておられたように、私たちもその交わりに入れていただき、その交わりの中に生きるのだということです。
主イエスはあなたにも永遠の命、神との親しい交わりに生きる命を与えたいと願っておられます。
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