神のみこころを地にも
マタイ6章5-10節
だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。 (9〜10)
今回は「みこころの天になるごとく地にもなさせたまえ」という言葉を学びましょう。
1 あなたのみこころ
@わたしの思いではなく
「みこころがなりますように」・・・それはまさに主イエスが十字架を前にして祈られた祈りの言葉でもありました。父よ、この杯を私から取りのけて下さい。しかし、わたしの思いではなく、あなたの御心がなりますように。「わたしのみこころ」がなることを求めるのか、それとも、「神の御心」がなることを求めるのか・・・それはまさに、わたしが主なのか神が主なのか、わたしが王様なのか、それとも神が王様なのか、血みどろの戦いなのです。
A神の御心が最高!
私たちは自分の祈りがその通りにかなえられたらと願います。けれども、時に、私たちの知識も認識も知恵もとても限られていて、一部分しか見えていません。あなたの御心が、と私たちが祈る時、私たちは、神が単に、主であり王であるだけでなく、全能であり、善であり、愛に満ちたお方であることを告白するのです。
2 神の御心の成就する場
私たちは神の御心がどこで成就するようにと祈るのでしょうか。
@天
ヨハネの黙示録は、ヨハネが自分が牧会してきたアジア州の七つの教会に宛てた手紙です。まさに弱く小さく、時に多くの問題を抱えて苦闘している教会がそこにはありました。しかし。しかし、天には主の御座があって主への礼拝が絶えずささげられていました。私たちは天に目を向ける必要があります。神の御心の成就している世界があるのです。
A地
この祈りは地上では戦いがあるけれど、天では神が治めておられるからというようなことではなく、神のみこころがわたしの生涯の上に、また私が今いるこの世界の中に実現するように、と求めるのです。
神さまが一番願っておられるのは、罪人の私たちが救われることです。それが父なる神の「みこころ」でした。そして、そのことが地でも行われるということは、神が願い、またそのひとり子を遣わすほどに、本気で願っておられる救いがわたしの上に、私が今、住んでいるこの地上において、起こってくるようにということです。私たちはそのために神と思いを一つにするのです。
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