主の器を担う者の生き方
イザヤ52章11〜12節
去れよ、去れよ、そこを出て、汚れた物にさわるな。その中を出よ、主の器をになう者よ、おのれを清く保て。あなたがたは急いで出るに及ばない、また、とんで行くにも及ばない。主はあなたがたの前に行き、イスラエルの神はあなたがたのしんがりとなられるからだ。(11〜12)
イザヤ書の中には繰り返して出てくるモチーフがあります。それは出エジプトの出来事です。昔、エジプトで奴隷だったイスラエルの民を主は救い出してくださった。そしてイザヤはここで、神はあなたがたのためにあの出エジプトの時に起こった事よりももっと大きなことをして下さると語ったのでした。
1 先立ちとなりしんがりとなられる主
主は私たちの先に行き、また後に行ってくださいます。
@ 先だって下さる主
主は出エジプトの時にも昼は雲の柱、夜は火の柱を前に置いて、イスラエルの民を導かれました。私たちの歩みにおいても、主が私たちの先頭に立って私たちを導いてくださいます。
A しんがりになってくださる主
しんがりは信頼していないとまかせられません。敵が後ろから襲ってくるときにはしんがりがそれに向き合います。イザヤは言います。主がうしろを引き受けてくださる。だから敵は決して私たちに襲いかかることはできないのです。主がしんがりを務めてくださったら、私たちは何も心配はいりません。
2 おのれを清く保て
イスラエルの旅路においても主の務めを担うレビ人たちは、自分を清く保つ必要がありました。イザヤは言います。主は救われた私たちに神さまのお仕事をゆだねてくださる。しかし、いざという時に主の御用をするために、大切なのは、自分を清く保つということです。
具体的には
@ 汚れたものにさわるな
罪や汚れから離れることです。汚れたもの、主が喜ばれない罪や悪い習慣と手を切ることです。
B おのれを清く保つ
主のためにささげ、神のために生きると言うことです。牧師でも信徒でも、何をするにしても、主のためにする。主のために働き、主のために学ぶ。主のために料理をし、主のために家の働きをする。何でも主のため。なぜなら、自分は主にあがなわれた主のものだからです。
主は私たちを救い、私たちをあがなって、先頭に立ち、しんがりを務めて、私たちを安全に御国まで導いてくださいます。主の器を担う者、主に仕える者として、喜びをもって仕えさせていただきたいと思います。
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