実現させる神
ピリピ2章12-13節
あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。(13)
この章に「心を一つにする」とあった。それは心を低くしなければできない。キリストが心を低くされて十字架の死を遂げて下さった、その救に与らなければできないことである。
神の求められること――従順
そのことを8節では、「十字架の死に至るまで従順であられた」という言葉で説明している。キリストでさえ「従順」であられたのだから、私たちに最も必要なことは、やはり「従順」になることである。
何に対して従順か?「神」に対して、「神の恵み」に対して、「聖書・み言葉」に対してである。それは決してやさしくない。しかし神が「恵み」を与えて下さると、私たちは感謝をもって従うことができる。
この従順についてここでは、「わたしが一緒にいる時だけでなく、いない今はいっそう」とある。聖書で「今」と言う時には、いつも特別な意味を持っている。神との関係が全く新しくなった「今」と言うことである。言い換えると神の方から新しい力強さをもって私たちに迫って下さることは「今」なのだということである。
従順になって何をするか?
「恐れおののいて自分の救いの達成に努める」ことである。「救い」は自分で造り出すものではない。しかし、それを全うするためには、信仰の戦いがある。
「恐れおののいて」とは、「自分は神ではない」ということである。信仰者は、「自分が弱い」ということを知っていなければならない。ひたすら神により頼む生活には危険はない
13節に「あなたがたのうちに働きかけて」とあるが、それは「あなたがたのうちに働いておられる者は、神なのです」ということである。神が恐ろしいほどの力で働かれる、ということを本当に信じているか?
神が働かれるといっても、どのように?二つのことがある。一つは「願いを起させる」。ある訳では「神があなたがたに意志を与えて下さる」と言っている。私たちのうちに働いて救いを完成したいという熱烈な意志・願いを起して下さるというのだ。
その次には、それを実現して下さるということ。願いを起させるだけでなくて、実現して下さるのだ。
神の計画
それは神が無計画にしておられるのではない。神は、私たちが弱いことも良く知っておられる。神は初めから計画を立てておられたその通りに、完成して下さる。神はそのご計画によって与えられたキリストの救いを完成なさるのである。
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