試みに会わせないで
ルカ11章1〜4節
わたしたちを試みに会わせないでください。(4)
私たちは日々神のゆるしを必要としています。ただもし罪を犯さないで生きることができたらその方がずっとよいでしょう。もちろん、私たちは地上では、全く罪を犯せなくなってしまうということはありません。しかし、私たちが主イエスと共に光の中を歩んでいく中で、私たちは罪に打ち勝ち、主のみ姿に似たものへと変えられていくのです。私たちはそんな歩みの中で、試みにあわせないでください、と祈るのです。
1 愛されている子としての訓練
私たちの生涯には私たちの願いとはずいぶん違うような様々な出来事があります。たとえば、病気だとか、経済的な問題、人間関係の悩み、また経済的な行き詰まりなどです。しかし同時に、私たちの生涯に自分の思いにそわないことが何一つなかったとしたら、きっと私たちはいろいろなことを学ぶチャンスの多くを失ってしなうことになるでしょう。
ヤコブはいろいろな試練に会った場合、非常に喜ばしいことと思いなさい、と言います。また、ヘブル書の記者は、主は愛する者を訓練されると言います。試練に会うのは、決して、あなたが神さまから捨てられているからではなく、神の愛のしるしでもあるのです。
2 サタンの誘惑
試練の中で、ある意味、私たちの信仰が試されます。自分の計画と神の計画のどちらを優先するかを問われ、自分の欲と神の御心とどちらを優先するかが問われるのです。
そして、神のみこころを退けて、自分の欲を優先するとそれは罪になります。私たちはある意味、そこで自分が弱いことを認めなければなりません。しかし、主は私たちを支え、力を与えて、試練に打ち勝たせてくださるでしょう。主ご自身がサタンの誘惑に打ち勝って、サタンの業を撃ち破ってくださったからです。
3 試練に会わせないで
主は、試練に会わせないで、と祈るようにとおっしゃいました。それは試練を避けて逃げて回る祈りではありません。試練に会うこともあるでしょう。そして悪しき者はその試練を、私たちが神に背き、神につぶやくきかっけにしようとします。だから、自分が思い通りに行かないときにも、サタンのたくらみに従って、神に背を向けることがないようにと祈るのです。主は必ず私たちを救ってくださいます。逃れる道を備え、また悪しき者のたくらみをも打ち破ってくださるのです。
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