一つ思いになる
ピリピ2章1〜5節
どうか同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、一つ思いになって、わたしの喜びを満たしてほしい。(2)
ヨハネ17章では、イエスは、弟子たちが一つになるように、四回も祈られた。今回の聖書個所には、弟子たちが一つになるように祈られた主のお心が、こだましている。パウロの一致のための勧めから、キリストの弟子が構成する信仰共同体――教会――における一致の心を学ぼう。
一致の切願
ピリピ教会は、信仰においても、愛においても成熟し、高い霊性を保っていた。しかし、欠けているところもあった。教会の一部に不協和音があり、一致に欠けていたのである。パウロがピリピ教会に一致を勧め、それを熱心に願ったのは、信徒たちを心から愛していたからである。パウロの彼らに対する熱愛が、「一致の勧め」という切なる願いとなった。
パウロの最も大きな喜びは、自分の心から愛している者が霊的に成長していくことだった。だから、今までの交わりにおいて、また福音に関わることを通して喜びをもたらしたように、一致においても、キリスト者としての成熟性を表わすことによって、「わたしの喜びを満たしてほしい」と切に願うのである。
一致の動機
ここには「一致のための四原則」がある。「キリストによる勧め(励まし)」=あたかも友人がそばに来て、慰め、励ますかのように。私たちはいつもキリストあって慰められ、励まされている。「キリストにある」とき、そこには命があるからである。「愛の励まし(慰め)」=ピリピ教会の信徒たちが互いに慰め、励まし合うようにと言う。共にこの世から苦しめられ、憎まれていた彼らは、相互の慰め励ましを必要としていた。『愛の慰め励まし』は一致の土台である。「御霊の交わり」=聖霊は、キリストのからだである教会に属する一人びとりを、交わりのうちに一つにする。クリスチャンを一つに結ぶ唯一の力は、御霊ご自身である。「熱愛(愛情)とあわれみ」=「熱愛」とは、深く愛する温かい心を意味する。これに対して「あわれみ」とは、他人の必要に対して同情心から向けられる優しい感情である。
こうしてパウロは、ピリピ教会員に対して、一致を保つように勧めた。
一致の意味(3.4)
一致の鍵は「へりくだり」である。謙りがあるならば、そこには一致がある。しかし、「自己中心」と「虚栄心」は一致を破壊する。
謙遜には二面性がある。一つは「互いに人を自分よりも優れた者とする」こと、もう一つは、「自分のことばかりではなく、他人のことも考える」ことである。この心のあるところに一致が生まれるのである。
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